男性育休と男性時短勤務の話

育休と時短勤務の取得したことを昇進できない言い訳にしないと決めていたが、とりあえずワンステップ上がることができたので、ここまでの道のりを記録しておきたい。


そもそも育児がしたくて転職した。

今から約10年前、30歳の時に今の仕事に転職した。
転職前の仕事は楽しく、成果も出ていたため充実していたが、長時間労働になりがちであること、出張が多いことは気になっていた。
同僚や先輩、上司は仕事に没頭している人が多く、ほとんどの時間を会社で過ごしていた。
自分の将来もそうなのかな、と何となく思っていた。

私が働いていた場所は、私の出身でも妻の出身でもなく、仕事のために、そこに住んでいた。
お互いの実家からかなり遠く、文化もかなり異なっていた(同じ日本だけど)。
結婚後、妻は東京から私が仕事をしている地域に来てくれた。
2人だけの時は、あまり知らない地域だったこともあり、その地域を楽しんでいた。
3年くらい経つと、2人で遊ぶ楽しみも減ってきたため、年齢的なことも考え、子どもについて考えるようになっていた。
妻の答えは、

「ここで子育てしたくない」

だった。
私の地元か妻の地元、もしくは東京で子育てすることが希望だった。

30才になるこの頃、自分自身でも将来を考えるようになっていた。
仕事は楽しかったが、先輩や上司は体と心を壊す人が多かった。
そもそも仕事に人生を全フリするつもりはなかったので、体を壊してまで頑張ってどうすんだと思っていた。
1回しかない人生。
「育児」を人生の第一優先に持ってくるのも面白いのではと思っていた。

転職した。

全く違う分野に転職した。
これまでのキャリアを捨てたため、年収も6割まで落ちた。
遠距離転職活動は結構しんどかったが、なんとか自分の地元での就職が決まった。
東京でも内定をもらったが、妻と相談した結果、私の地元の方を希望してくれた。
妻は私の地元で生活していたことがあり、友人もいるたため、私の地元での生活に、妻の方が乗り気になってくれていた。

出産〜育休まで

育休を取得したのは、今から6年前。
第2子が1歳で、妻が再就職する時だった。

妻は第1子の出産以降、専業主婦になっていた。
パートナーには社会的なつながりを持っていて欲しかったのと、経済的な自立を求めていたので、妻には復職してほしかった。

当然のことではあるが、家事も育児も平等に受け持つつもりではあった。

妻の復職は決まったが、妻の復職と保育園に入れる時が1ヶ月間空いてしまうため、私が育休を取得することにした。
そもそも女性しか育休取れないなんて不公平だ、男だって休みたい!
と思っていたので、ちょうどよかった。
職場はすんなり認めてくれたが、1ヶ月程度の不在のため、前倒しできるものは前倒しで終わらせ、1ヶ月後でもいいものは後ろ倒しすることになった。

ちなみに、この育休取得について、私は両親に報告をしていた。
母には、昇進の心配をされたが、
「時代の先端を行くんだよ」
と言っておいた。
父は、「あいつは昇進をあきらめたのか」と言っていたらしい(母談)。
いずれにしても、今の社会的な気運を見ると、私の判断は間違っていなかったと思う。

ちなみに妻が第1子を出産して職を離れてから再就職するまでの間、人生で最もお金がない期間であった。
もともと2人の収入はすべて家計に入れ、妻、私ともに同金額のお小遣い制にしていたが、妻の収入は0円のため、この期間はお昼代込みで月10,000円になった。
結婚前に貯金していたへそくりは、この時期にすべて放出してしまった。

育休期間中

結局ほぼ家にいた。
育休期間中は、慣らし保育の期間でもあったので、保育園に半日だけ預ける日もあったが、そこで風邪をもらってきていた。
私が育休を取得していなかったらと思うとゾッとする。
育児スキルは第1子の時にある程度身につけていると思っていたが、いざマンツーマンでの育児となると、もう数段階ステップアップした。
家の運営についても、第1子の送り迎えや、日々の買い物もする。
家事スキル・育児スキルは急速にアップしていった。
やはり主としてやってみないとわからないこともある。
そして、父として最も成長したのもこの期間であった。
風邪をひいた第2子のお昼寝の時の寝顔は、心の中で大切な思い出になっている。
(めちゃくちゃかわいい)

時短勤務開始前

私が職場復帰することに伴い、まず、妻と私、どちらが時短勤務になるかを話し合った。
が、私が取ることが一瞬で決まった。
妻が再就職をしたばかりであったこと、当時、妻の職場では妻が時短勤務を取ることについて、理解が得られなかったためである。
私の職場に相談をしたが、特に何も言われずにOKがでた。
ほんと、転職して良かったと思う瞬間だった。
私は9:00〜16:00の勤務となり、給料は2割減った。
前職の初任給より給与が下がった。
30歳超えてるのに。

時短勤務期間中

時短勤務を取得した最初の年は、猛烈に忙しかった。
そもそも年度途中に育休→時短勤務となったため、仕事の再配当ができず、通常の仕事量をそのまま行うことになった。
この時点で、他の人と同じ仕事を8割の時間で終わらせることが求められた。
また、保育園からの呼び出し対応も私がメインとなるため、呼び出しの多い時の月間勤務時間は100時間を切った。
(通常なら130時間くらいはある)
子どもの看護休暇も有給休暇も全て消費した。
労働時間で見れば、普通に勤務している人の6割強しか働いていない。
そのため、他の人の2倍近くのスピードで処理をしないと終わらなかった。
保育園の送り迎えがあるので(これも私の担当)、早く出勤することや、残業する方法は使えず、完全に勤務時間内での処理能力を問われることになった。
シビレる環境だった。

子どもが朝ごはんをゆっくり食べているため、出勤が遅れそうになり、間違えて姉に「ご飯を食べない!」と誤爆LINEをしたのもこの頃である。

仕事のための仕事はガッツリ削除した。
対外的な仕事にのみ注力し、内部資料は個人資料の作成精度を上げることで対応した。
意外となんとかなると思った。
周囲の理解には感謝するが、そもそもこのレベルの仕事でよかったんじゃないかとは今でも思う。

3年くらい時短勤務を取得した

復職後1年も経つと、妻は職場で市民権を得た。
有給も取りやすくなり、子どもの突発的な対応も柔軟にできるようになった。
私の有給取得率は下がっていった。
この頃には私の低収入が問題になるようになっていった。
時短勤務は1日毎の勤務時間でカウントされるため、定時まで仕事をすれば、その分給料が復活する仕組みになっていた。

子どもたちも保育園に慣れ、風邪をひくことも少なくなったため、私の就業時間を延ばしていき、時短勤務は3年で終了することにした。

家事分担について

私と妻の家事スキルは同等だったことや、私も妻も家事が嫌いであることから、最も効率よく家事が終わるための分担をすることにした。
例えば、保育園に迎えに行く間に、もう一人がご飯を作る。
食器を洗っている間に、もう一人が洗濯物をたたむ。
子どもの寝かしつけをしている間に、洗濯物を干す、などなど。
役割分担ではなく、時間分担の最適化を図ることで、家事の偏りに対する不満を解消できたと思う。
ちなみにルンバや食洗機を導入したのもこの頃である。

仕事は良くも悪くも結果でしか見られない

育休・時短勤務を取得したことで、仕事のやる気がない奴とレッテルを貼られているのではないかとは思っていた。
それが理由で昇進できないような職場なら、昇進しても理解してもらえないから意味がないと思った。
逆に昇進できるようなら、健全な組織の証明になるのではないかとも思った。
勤務時間を通常に戻してからは、求められた仕事をきちんとこなし、かつ残業時間は大幅に減った。
時短勤務をしていたから、通常の勤務時間が長く感じるからだ。
短い時間で求められる仕事をきちんとこなせるようになったことが、評価につながっていたと思う。

現在

子どもたちが小学生になると、自分の時間が格段に増えた。
これまで自分の時間は100%育児に使っていたが、50%くらいは自分に使えるようになった。
趣味だったテニスを10年ぶりに再開した。
時間が有り余るため、プラモ作りも始めた。
釣りも再開した。
釣りとプラモは長男と一緒にやっている。
子どもが大きくなると、こんなにも自分の時間が増えるのかと思う。
子どもと一緒に自分の趣味を楽しむのは、1人でやるより楽しい。
「育児は一時(いっとき)」
これは私の母から言われた言葉だった。

育休・時短勤務のススメ

取得できるのであれば、取得すべきと思う。
いろいろハードルは高いかもしれないが、子どもの成長は巻き戻すことができない。
あの一瞬一瞬は2度と訪れない。
仕事は挽回することができる。
でも子どもの0歳や1歳に触れることは、その時期を逃すと一生できない。
転職してまで育児をする価値は十分すぎるほどあると思う。
私の環境は非常に恵まれているのだろうが、これが当たり前であってほしいと切に願う。




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