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天敵との遭遇

先日家族で出かけた日のこと。

その日は元々昼を外食で済ます前提で
出かけていたのだが、
午前の予定がかなり押してしまい
もともと昼食を食べる予定の店にいくと
既に昼の営業が終わってしまっていた。

それならつぎはこの店。ということで
私達が向かった店もなぜか臨時休業。

そこで私達はランチ難民になってしまったわけだが、
幸いその日に行っていた場所は私が前職にいたころ
住んでいた場所の近くなので土地勘もある。

子供たちに何が食べたいかを聞くと
ピザやスパゲティが食べたいということだったので
そこから5分ほど車を走らせた場所にある
サイゼリアに行くことにした。

個人的にはこのサイゼリアでは
あまりいい思い出がないので
近づきたくなかったのだが、
背に腹は代えられない。

子供たちは久々のサイゼリアにテンションアップしている。

早速メニューを見て注文を紙に書いていく。

久々にサイゼリアに入ったが
改めてその値段の安さに驚く。

次々食べたいものが決まり
注文を終えてしばし待つことになった。

午前の予定で動き回ったせいか
子供たちもかなり疲れており
いつもよく話す娘も静かだったので
昼過ぎでお客さんが疎らな店内を
私はボーッと眺めていた。

すると、私たちの席から最も遠い場所に
過去に見たことのあるシルエットがあることに
ふと気が付いた。

前職で私の天敵であったH氏である。

H氏は私よりも10年ぐらいキャリアが長く
私達が新卒で入社したときには
既に中堅社員のような雰囲気をまとっていた。

そんなH氏は長く商品開発に携わっており
私がマレーシアの工場に赴任したときも
新商品の立ち上げで何度か現地に来ていたので
現地でよく話をしたのだが、
私はH氏の何か斜に構えたというか
物事全てを達観したようなものの言い方が
あまり好きではなかった。

とはいえ、私とは特に利害関係がないし
私は現地法人で出迎える側だったので
H氏を地元のスーパーに連れて行って
お土産を買うのを手伝ったりもして
良好な関係を築いていた。

だが、私がマレーシアから帰任して数年が経ち、
品質管理の仕事をしているときに
H氏は商品開発から、商品企画の仕事を
するようになった。

商品開発と商品企画は何が違うのかというと
前者が顧客のニーズに基づいて商品という形で
アウトプットする仕事なのに対し、
後者は顧客のニーズをキャッチアップして
開発部隊に投げるとともに、出来上がった商品を
営業部隊に的確な情報と共に投げるような仕事である。

前職では商品開発は基本的に本社のラボで勤務し
商品企画は営業と近い東京で勤務する形だったので
H氏はこの移動に伴い、東京に行ってしまった。

これで私がH氏と出会う機会も減るなと
安心していたのだが、
私のその考えはあっけなく打ち砕かれた。

次は仕事の関係でH氏と思い切り
関わらなくてはならなくなったのである。

先ほど書いたように商品企画は
出来上がった商品を営業部隊に適切な形で
投げるのが一つの仕事なのだが、
当然H氏は商品について深く知っている。

だが、知っているが故に
伝えなくてもいいことまで伝えてしまう節があった。

何事も知らせておくことが大事と
思う方もいるかもしれないが、
多くの営業マンを自社に抱えている
製造メーカーとしては
情報のコントロールを的確にしておかないと
顧客に誤った情報が伝わるリスクがある。

そうしてお客様に誤解された情報は
顧客問い合わせや時にクレームという形で
私達品質管理に向けられる。

そして、H氏が商品企画に着任してからというものの
保証するのが難しいような商品の特性を
商品のうたい文句として付けようとするなど
私達品質管理としては見過ごせない事象が
何度か出てきたのである。

今から思えばこれは決してH氏だけが悪いわけではなく
営業マンも売りやすいようにH氏から情報を引き出そうと
していたのであろうが、
いずれにしてもH氏がそちらに赴任してから
私達がストップをかける事象が増えたのである。

当選私たちがストップをかけると
H氏や営業部隊は面白くない。

「なぜこちらは売ろうと努力しているのに
お前らは足をひっぱるのだ」

そのような言葉を向けられたこともある。

だが、顧客に保証もできないことを
うたい文句にして商品を売ることは
法に触れない程度のレベルであっても
顧客の信頼を失ってしまうリスクがある。

競合他社が自分たちの商品を差別化するため
ギリギリのラインをついていくるなか
営業マンたちがそのようなうたい文句を
渇望しているのは百も承知であるが
それを許すわけにはいかないのだ。

そういうわけで私は何度もH氏と
バトルを繰り広げる羽目になった。

何度もいうがH氏は商品について良く知っているので
相手にするのは正直面倒である。

こちらが論理で反論すると
あちらも論理を展開してくるので
議論が一筋縄でいかないのだ。

そうして、何度もH氏とバトルを繰り広げたころ
私に海外赴任の打診が来た。

そして、それを断る代償として
私は前職を辞めることを決意した。

なので、私にとってH氏は天敵として
認識されたまま前職を辞めることとなった。

私が退職した2年ほど後にH氏は東京から
本社に戻ってきて、
驚いたことにかつての私と同じように
品質管理に在席することになったと
風のうわさで聞いた。

今度は自分が商品企画を止めなくてはならない
立場になったのだと思うと、
何だか面白いなと思ったが正直私には関係がない。

徐々にH氏のことを忘れかけていたときに
私は偶然サイゼリアでH氏を見かけたのだ。

私とバチバチとバトルしていた頃
H氏は独身であった。

私が30歳の年に退職したので
その時にはH氏は40歳前後であったはずだが
H氏は結婚する様子どころか
彼女がいるという話も聞かなかったので
一部ではゲイ疑惑があったほどである。

だが、H氏は本社に戻ってから
ほどなくして結婚したそうである。

私が偶然にサイゼリアで見かけたH氏は
保育園の年中か年長になるぐらいの娘さんと
まだ2歳ぐらいの息子さんと奥さんと4人で歩き、
ドリンクバーで娘さんに優しく話しかけていた。

何だか、その姿を見ていると
過去に私がH氏に持っていた嫌な印象が
夢から覚めたように消えていくのを
私は実感した。

もちろん彼の根本的な性質は
劇的に変わることはないのだろうが、
こうして仕事を離れて家族といる時間には
彼はとても優しいお父さんであり、
奥さんにとっての夫としての顔を持っている。

今の私にとって見えているのは
その後者の顔だけなのである。

そう思うと、不思議なほどH氏への嫌悪感が
消えていったのである。

私にとって苦手な人は何人かいるが
彼らもきっと職場を離れれば
家庭があり、その中ではまた違う顔を持っているであろう。

そう思うと、何だか人を嫌悪することは
その人の極めて限られた側面だけを見て
判断するとても愚かなことに思えてくる。

簡単に人に対する嫌悪感がぬぐえるものではないが
これから人に対して嫌悪感を持った時には
その人の違う側面を見ようと努力することは
出来そうな気がした。

そんなことを思いながらH氏を遠目で眺め
料理を待っていると
ほどなくしてテーブル一杯の料理が運ばれてきた。

目を輝かせる子供たち。

美味しそうに料理を頬ばる姿に目を細め
それを眺める私。

何だか心も満たされてお腹いっぱいになった
休日に昼過ぎであった。

ちなみにテーブル一杯の料理を頼んだのに
家族4人で会計は2500円ほどであった。

サイゼリアで提供しているのは
イタリア料理であるはずだが、
本場イタリアではあれだけ高い料理が
なぜこんな価格で提供できてしまうのかを考えると
逆に怖くなってきた。

インバウンドの外国人の方が
サイゼリアに入ったなら度肝を抜かれるであろう。

何だか日本人として両手をあげて
喜べない自分がそこにはいた。

とはいえ、食べ盛りの子供がいると
サイゼリアは非常にお財布に優しいのも事実。

「また来ようね」と嬉しそうに言う娘に
笑顔で頷いた私であった。

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