隣の芝は青く見えるが、改善点も見える
隣の芝は青く見える。
これはよく言われることである。
過去に私もこの言葉について
記事を2回ほど書いたことがある。
実際私は家の庭で芝生を育てているが、
なかなか手間がかかるし、
毎年その出来栄えに満足できず
首をひねるばかりである。
そんなときに通りがかった家で
青々と美しくなびく芝を見ると
やはり羨ましくなってしまう。
そんなときに
「これが隣の芝は青く見えるということか」
と実感してしまうのだが、
実は隣の芝は青く見えるだけではないのを
ご存じだろうか。
隣の芝は青くも見えるが、
それと同じぐらい改善点も見えるのだ。
私の通勤路には芝生を植えている家が
2件あるのだが、
1件の家の芝生は明らかに
手入れがしっかりされていることが
外からみてもわかり、
まさに青々としている。
その反面、もう一軒の家の芝生は
決して何もしていないわけではないが、
手入れの仕方に改善点が色々見えるのだ。
先ほども書いたように芝生をキレイに保つのは
手間がかかるものである。
季節によってやるべきことが変わるし、
小まめに刈ったり、肥料をやったり
根っこの部分を耕したりしてやらないと
密度の高い綺麗な芝生はできない。
そんなプロセスを理解していたとしても、
どこかで妥協せざるを得ない線が
来るものである。
なので、自分で手入れした芝生は
100%満足はしていないものの、
どこかに自分の現状のベストを出し尽くしたという
自尊心のようなものが視点に入ってしまう。
すると不思議なことに自分の芝の
改善点が公正な視点で見ることが
できなくなってしまうのだ。
自分はこれだけ手間をかけたから
やり方が悪いはずがない。
そんな気持ちで見るようになってしまうと
改善点が見えなくなるのは当然だろう。
ところが、他の人の芝生はこのような
視点を完全に排除して見ることができる。
それ故に、隣の芝生は青くも見えるが、
改善点も見ることができるのだ。
なぜ芝生の話をこんなにするのかと
疑問におもわれるかもしれないが、
これは色んな事において同じである。
仕事においても、自分の仕事に対しては
同じように改善点が見えにくくなるし、
趣味においても全く同じなのである。
先日会社でとある部署の実績を
早急に改善する必要があるとして、
会議が開催された。
いつもは自部署の改善案について
苦い顔をしながら報告をする人が
その中に何人かいたのだが、
不思議なぐらいその人たちが活き活きと
他部署の改善案について発表し始めたのだ。
正直その人たちがネガティブな発言をすると
予想していた私にとっては
これは青天のへきれきであった。
もちろん、改善が必要な部署が
あまりいい状態でなかったからというのも
原因の一つではあるが、
私の目から見れば、その場で活き活きと発言していた
彼らの部署もそう大して変わらない状況である。
にもかかわらず、彼らはとても前向きな
改善案を出すことができたのだ。
本来なら自部署でその改善をすべきなのに
他部署に対してなら改善案が出てくるのは、
自尊心という眼鏡を通さずに見ることが
できるからではないだろうか。
まさに隣の芝が青く見えるだけじゃなく
改善点も見える理屈と同じなのだ。
なかなか難しいことではあるが、
いつでも自分の芝を隣の芝と同じように
ニュートラルな視点で見る事ができれば、
私たちは自分の芝をもっとよくすることが
できるのではないだろうか。
そう考えてみると、私も日々いろいろな
活動をする中で自分の芝を
他人の芝を見るようにニュートラルな視点で
見ることができていなかったような気がする。
このnoteもそうであるし、
自分が発行したKindleについてもである。
自分の芝生を見る目線を
いかに隣の芝を見る目線に変えられるか、
なかなか難しい課題ではあるが、
それをしっかりとできる用意ならない限り
どこかで成長は頭打ちになってしまう。
そんな視点を得るためにあなたがしている工夫が何かあれば
ぜひコメントでアドバイスを頂けると嬉しい。
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