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大人こそ工作をすべき理由

先日家に帰るとテーブルの上に
何やら折り紙で作られたものが
置かれていた。

台形の様な形に折りたたまれた赤い紙、
その中に細長く切った黄色い紙が
いくつも入れられており、
赤い紙には「M」という文字。

まさにマクドナルドのポテトである🍟

恐らく学童で娘が作ったものであろう。

娘は保育園に行っている頃から工作が大好きで
折り紙でお寿司やクレープ、花束、
変わり種ならラーメンなどまで色んなものを
作ってきた。

そうして作られたものは
ほぼ間違いなく散らばるので
親としては少々複雑ではあるが、
こうして自分で考えて何かを作ることは
とてもいいことである。

これからどんなものを作るように
なるのかが楽しみだなと思っていると、
ふとあることに気が付いた。

これから娘は年齢を重ねれば重ねるほど、
このような工作をしなくなるのでは
ないだろうか。

今年娘は7歳になる小学一年生。

学校でも図工で色んなものを作っているが、
図工で作るものは学年が進むにつれて
少しずつリアルなものに近づいていくことを
息子の時に見てきた。

版画や紙粘土、彫刻刀を使った工作など
徐々に難易度が上がっていき、
高学年になると調理実習をするようになって
ごく簡単なものなら自分で調理できるようにすらなる。

息子も小学校低学年の頃には
段ボールで一緒に工作をして楽しんだ記憶があるが、
高学年になった今、
段ボールで工作をしようと声をかけても
恐らくしてくれないであろう。

それはなぜか。

所詮段ボールや紙でつくるものは
ニセモノであると思うからではないだろうか。

当たり前のことではあるが、
折り紙でマクドナルドのポテトを作っても
それを食べられるわけではない。

そして、それを作ったとしても
それを使った遊びをするわけでもない。

彼らはリアルなものを作れるようになることで
このようなニセモノを作ることを
少しずつ幼稚な事だと認識するようになる。

それゆえ息子は工作をしなくなるのであろう。

恐らく私もそのような成長のプロセスを
経てきたと思う。

低学年の頃は図工がとても好きだったが、
高学年になるころには
あまり好きではなくなったような記憶があるのは
まさにニセモノを作ることに対して
疑問があったからかもしれない。

だが、子供が生まれて親として
子供の工作に接したとき、
全く違う見方をするようになった。

それは工作は抽象化能力を鍛えるための
最高のトレーニングだという見方である。

抽象化能力とは一体何か。

抽象化とは個々の事象から共通点や法則性を見つけ出し、
その共通の本質を見つけ出したりすることである。

その抽象化をする力を抽象化能力という。

抽象化ができる事は一見すると
あまり役立たなさそうにも見える。

だが、日常や仕事において問題に直面した際に
抽象化能力があれば、
全く関係のない思わぬところから
解決の糸口を見つけることができるし、
何か前向きなアイデアを出そうとするときにも
同じく全く関係のない事象から
共通点を見つけ出してアイデアを出す事ができる。

抽象化能力が高ければあらゆることがヒントとなり、
とても視野が広がるのである。

これはビジネスにおいてとても大事な
事であると思うし、
過去に生み出されてきた無数の革命的な発明の多くは
直接的に関係のない事象から着想されてきた。

まさにこれらは人間に抽象化能力があるからこそ
生み出されてきたものなのだ。

だが、そんな抽象化力には個人差がある。

同じものを目にしても全く何も着想しない人もいれば
抽象化して別のことに展開できる人もいるのは
紛れもない事実である。

では抽象化力を鍛えるためには
どうすればいいのか。

それは目の前にあるものを違う何かに見立てて
組み立ててみる事ではないだろうか。

冒頭に紹介した折り紙で作られた
マクドナルドのポテトは
まさにその一つの事例である。

加工する前に娘の目の前にあったのは
単なる赤と黄色の折り紙だけ。

これを何もせず見ているだけなら
紙のまま一生何物にも変わらないが、
何となくでも切ったり折ったりしてみると
その形が何かに似ていることに気が付きだす。

そして、それが何かに似ていると
気が付いたならば、
その形に似るように他のものも加工してみれば
いいのである。

抽象化能力が低い人というのは
恐らくこの最初に紙を手に取って
とりあえず折ったり切ったりすることが
出来ていないのであろう。

これはごく一つの事例にすぎないが、
このように全く違うものから
共通点を見つけ出して
それに似せていくプロセスを
工作からはとてもよく学ぶことができるのだ。

そう考えてみると、
このような工作をすることは全く幼稚ではなく
とてもクリエイティブな事である。

子供たちが大きくなるにつれて
工作をする機会が減るのはとても
もったいないことであるし、
逆に色んなことを知るようになった大人こそ
原点に返って工作をしてみるべきでは
ないだろうか。

そんな風に思うのだ。

実際、私は休日に娘とよく工作をするが、
何でもない素材からアイデアを出し合って
作るものを決めて、
工夫しながら作り上げていくプロセスは
大人の私から見てもとても楽しいものである。

折り紙なら100均でいくらでも売っているし、
失敗を恐れずに思い切って色んなものを
作ってみる事はできる。

工作はどうしても時間がかかるので
週末ぐらいしか一緒に何か作ってやることは
できないが、
次の週末はどんなものを一緒に作ろうかと
考えてみるのも親の一つの楽しみである。

ちなみに我が家では週に一度
プラスチック包装や紙ごみなどを
資源ごみの回収所に持ち込むのが
恒例行事になっているが、
その分別をしている時に娘に見つかると
「これ次の工作で使うからおいといて」と
捨てられないゴミが増えていくのが
一つの悩みでもある。

抽象化能力が高い人にとっては
資源ごみ回収所はある意味で
宝の山になるのかもしれない。

ゴミがなかなか捨てられないという
デメリットはあるものの、
ゴミが宝にになると思うと
とても素敵な能力である。

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