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学びは人生を面白くする

昨日職場のメール確認をしていた時のこと。
1件のメルマガが受信ボックスに入っていることに
気が付いた。

情報収集のために登録しているメルマガは
何件かあるが、
全てにしっかりと目を通していては
時間がいくらあっても足りない。

サッと目を通して廃棄しようとしたときに
ふとそこに書かれている内容に目が留まった。

そのメルマガは分析機関からのもので、
そこが保有する設備を使って
このような分析が可能だということを
説明するものであった。

そして、私の目に留まったのは
まさに私が大学時代に研究室で
研究していたテーマに関わるものであった。

私が研究に携わっていた頃には知らなかったような
分析方法がそこには書かれており、
当時取り組んでいたテーマをこの分析で
データ採取してみたならば
おもしろいデータが採れるように思えたのだ。

もはや20年近く前の話ではあるが、
当時あれだけ向き合ったからなのか
不思議なぐらい鮮明に当時の内容を思い出した。

それと同時に私は無性にこのことを
誰かに伝えたくなった。

誰か当時の研究室で連絡が付く人は、、、
そう考えた時にふと思い当たる人が一人いた。

先生である。

先生は大学院を卒業されたあと、一般企業に就職され
何年か働かれた後にアカデミアの道に進まれたので
大学の先生の中では比較的珍しい部類であり、
理系の大学の先生独特の変わった雰囲気こそあったが
私は先生のことをとても尊敬していた。

本当は今年5月に開催された研究室OBの懇親会で
数年ぶりに先生にお目にかかる予定であったが、
妻がの体調不良で急遽参加できなくなっており、
その連絡以来に先生に連絡してみることにした。

早速メールにメルマガに添付されていた資料を乗せて
先生にメールを送信すると、
驚くほど早く返信が返ってきた。

先生のことなので複雑な回答が返ってくると
想像していたものの、
もう研究から退かれて長いからなのか
それほど強く食いついてくる印象はなかった。

だが、逆に私の頭の中ではもうすでに
どのように分析を進めていき、
最終的な結論に導くかという地図が広がっていった。

そこでふとあることを考えた。

今のマインドや知識を持って
大学時代の研究室に戻ったならば
もっと楽しいのではないだろうか。

正直にいうと大学時代には研究の内容には
それほど面白さを感じていなかった。

未知のことを解明する面白さはあったが、
何をどうするのかを決めるのはあくまで先生であり、
その内容に従ってやっているような感覚が
当時はあったからである。

だが、今の私ならきっと自ら積極的に仮説を立て、
それをいかにして検証していくかというアイデアも
当時より格段に出せる自信がある。

仮にアイデアがなかったならば、
有識者にコンタクトして尋ねるであろうし
当時私になかった海外に問い合わせる英語力もついた。

これは社会人として20年近く働いてきて
私が身につけた行動力や英語力のおかげであろう。

以前、大人になってから学生時代の部活をしたら
きっと取り組み方が変わって劇的に楽しくなることを
記事で書いたが、
研究室での生活もまさに同じである。

私が学生時代、先生は私達に指示を出しながら
何だか楽しそうに見えたのは
今私が感じているようなことを先生も
感じていらしたからではないだろうか。

やはり人生は学ぶことで楽しくなるものである。

私が今このテーマで考えることを楽しめているのは
まさにこの20年の社会人生活で学んできたからである。

そう思うと、まだまだ今の私が面白いと思うテーマは
世の中にあふれているであろうし、
これから学び続けることでさらに面白いテーマは
増えていくことであろう。

男性の平均寿命が81歳と言われているので
ちょうど私は今折り返し地点にいる。

人生の後半はますます面白くなりそうな
予感がする。

そのためにもこれからも学び続けようと思う。

ちなみに私がいた研究室では16時ぐらいになると
全員が研究室に集ってコーヒーを飲む
”お茶会”という文化が存在していた。

比較的寡黙な先生だったので、
いつも独特の沈黙ゆえに絶妙に居心地が悪いのだが
その中で私は先生の話を引き出すことを
楽しんでいた。

その当時私のことを周りの皆は
「お前は絶対営業に向いている」と言っていたが、
そんな私が今は研究開発職として働き
周りの人こそが営業を含め全然関係のない仕事に
今は就いている。

今皆で久々に集って”お茶会”をしてみたら
見え方がまた変わるのであろう。

来年懇親会が開催される時にはお酒ではなく
コーヒーで”お茶会”を再現してみても面白そうだと
密かに思う私であった。

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