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子供の頃の憧れ

子供の頃に妙に心惹かれてしまうモノは
誰にも一つはあるだろう。

人によってはカラフルなビー玉かもしれないし
綺麗なプリントがされた包装紙かもしれない。

なぜだかわからないけどその見た目に惹かれ、
それを見ているだけでワクワクしてしまうし
ずっと見ていられる。

そんな存在が私にもある。

それは車のシフトレバーについている
水中花のようなノブである。

上記のリンクを見ると、なんとなくヤンキーが
車の改造に使っているようなイメージを
持つ方もいるかもしれないが、
当然ながら私が子供の頃から憧れていたのは
ヤンキーの車の中ではない。

私が子供の頃には多くのタクシーの
シフトレバーにこの水中花が付いていた。

それにたまらない憧れを感じていたのである。

私はいわゆるアラフォーであるが、
私が子供の頃にはタクシーの多くは
マニュアル車であった。

今の若い人の中にはバス以外マニュアル車に
乗ったことがないという人もいるようなので
あまりピンとこないかもしれないが、
小さな乗用車の中でシフトレバーを
ガチャガチャと操作しながら運転する姿は
私にとってはたまらなくかっこよく見えた。

そして、当時多くのタクシードライバーが
シフトレバーにこの水中花のノブをつけていたのである。

とはいえ、子供の頃にしょっちゅうタクシーに
乗るような生活をしていたわけではない。

年に数回我が家に遊びに来る叔母が
どこかに連れて行ってくれる際に
タクシーに乗せてくれただけである。

叔母は母方の兄弟の長女であるが、
私の母は8人兄弟の末っ子なので
叔母と言いながらも、
はたから見れば祖母とよく言われたりもした。

叔母は当時60歳前後であったが、
ずっと未婚のままで子供もいなかったので
私たちのことを小さいころから孫のように
可愛がってくれて、年に数回我が家に
遊びに来てくれるのであった。

日ごろちょくちょく喧嘩をする両親も
叔母が来ている時には喧嘩をすることがないので
私は叔母が来ると、遊んでもらえるうれしさと
両親が喧嘩をしない安堵感の両方で嬉しかった。

その叔母がどこかに私たちを連れて行ってくれる際に
必ずタクシーを使っていた。

独身で定年間近まで勤め上げていたので
お金に余裕があったのもあるだろうが、
ずっと都会で働いているせいで、車はおろか
自転車すら乗れないからだと母に聞いた。

そうして、タクシーに乗せてもらうのが
私はとても好きだった。

日ごろ見ないレースの座席カバー、
勝手に閉まるドア、
タクシーメーターのところに書かれた
運転手の表示、
タクシー独特の匂い、
時々無線から流れてくるかすれたアナウンス、
そして、シフトレバーの水中花。

これらの景色は子供の頃の私にとって
どれも憧れであり、
それをずっと眺めていたくなるほど好きだった。

それはきっと、私にとってタクシーに乗る機会が
どれも嬉しい機会だったからであろう。

自分にとっていい思い出を演出してくれるアイテムとして、
私はこれらに憧れを抱いていたのだ。

かつて新幹線や飛行機も私にとってそうであった。

それらに乗るだけで心が躍り、
その独特の内装を見るだけでワクワクしていたのだが、
今となっては何とも思わなくなり、
飛行機に至っては乗りたくないとすら思うようになった。

それは、単純に慣れたというのもあるだろうが、
それだけではなく嫌な思い出が上書きされたのも
大きいと思う。

顧客クレームの対応で向かう東京への道中。
海外出向中の休暇明けで戻りたくないと思う中乗る飛行機。

これらの思い出が子供の頃の憧れを
打ち消してしまったのである。

しかし、幸いなことに私にとって
タクシーはそのような嫌な思い出が
上書きされていない。

なので、いまだに私はタクシーに乗ると
ワクワクしてしまうのだ。
(今でもめったに乗ることはないが)

そして、そのたびにシフトレバーを見て
水中花でないことを残念に思ってしまう。

何なら最近の車にはシフトレバーすら
無くなってきているので、
もしかすると水中花のシフトレバーは
一生見られなくなってしまうのかもしれない。

全てのモノは諸行無常、常に変化を止めることは
誰にもできない。

憧れを抱いていたものがなくなるのは
ある意味仕方のないことなのであろう。

どういうわけか頭の中に水中花のシフトレバーが
浮かんできたのでこの記事を書いたが、
かつて憧れていて、今は見なくなって記憶の片隅から
消えてしまったものも沢山あるのかもしれない。

なんだかそんなかつての憧れに出会いたいと
思った早朝であった。

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