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ブログを書きたいという気持ちを持たないまま。

ブログを書くことにおいては、
「書きたいことを書く」というのが
大切であり、また、なおかつ
セオリーのようになっているとも聞くのですが。
ぼくの場合はね、日々、こうして
ブログを書いてはいるんだけれど、その
「書きたいことを書く」ということができないのよね。

そもそも、ぼくには
「書きたいこと」が無い。
って、じぶん自身では思っている。

なので、ぼく個人としては
書きたいことを書く、そして、書きたいことを
書きたいときに書く、としてしまったら
一生、ブログ書かないんじゃあないかなあ?
とも思われる。
だからこそ、ぼくのブログは
いまいち面白くない、と申しますか、
弱い、と申しあげますか、つまりはさ、
つまらなさが見え隠れしているようにも思えるけれど。
なんとゆうか、もう、これはこれで
しようがないとも感じてしまう。

さらにもっとそもそもを言えば、
ぼくがブログをはじめたきっかけもね、学生時代
当時ブログが流行り出したころ、恩師の先生より
「ひでしくん(ぼくの名前)、ブログやってみたら?」
とアドバイスをいただいたからなのでして。
つまり、指示と申しますか、
先生からの指令に基づいてスタートしていて、
いわば、ぼく自身からの自発的には始められていない。
なので、ぼくとしては
ブログを書きたい、という気持ちを持たないまま
ブログをはじめていて、そして、そのまま
(noteの以前でやっていたブログでは、
数年間、更新ストップしていたけれど)
ブログをつづけているとも言える。

そんなぼくができることと言えば、
かつてのブログでも申しているとはぞんじますが、
ぼく自身が、いま、
かろうじて書けそうなことは何か?
を考えることぐらいなのでして。
そういうような、このブログでは
「かろうじて書けそうなこと」を書いているの。
つまり、ぜんぜん積極的ではなくって
とっても消極的な気持ちでブログを書いていて、
ぼくにはそれしかできないんだなあ〜。

「書きたいことを書く」と思いながら
ブログ及び文章を書かれている方々は、
すごいなあ!!! って思う。
ぼくには、それができないから。

はたまた、たとえば、田中泰延さんの著書
『読みたいことを、書けばいい。』というタイトルの如く、
「書きたいことを書く」の逆的な状態として
「読みたいことを書く」というのも、
よいなあとぞんじます。
ぼくは、でも、この
「読みたいことを書く」ってゆうのも、
できていないけれども。

ぼくはなぜ、いまもなお
こうしてブログを書いているか?
ってゆう理由さえもよくわかってないけれども。
でも、こうして日々
ブログを書いているからには、つまり、
ブログを書くことが、ぼくなりには
なにかしらの希望を持っているからだとは思う。

令和6年6月10日


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