モンスターと暗号と事実と本当の恐怖。
(今回のブログでは作品内容のねたばれがあります!)
前回noteでは、昨年、映画館で鑑賞いたしました
是枝裕和さん監督×坂元裕二さん脚本の映画作品
『怪物』をブルーレイであらためて観て、
思ったことをしるしたけれど、さらにその
つづきのようなことを申したいと存じます。
前回、恐怖とは、人と人との
「立場」がちがうことによって、
引き起こされるんではないか?
って考えてみたですが。
立場のことで、映画『怪物』で申しあげますと
印象的なシーンで言えば、やっぱり
小学五年生の麦野湊の母親(安藤サクラさん)と、
湊の担任教師(永山瑛太さん)や
校長(田中裕子さん)及び学校の先生たちとが対面する、
校長室なのかな? のときだなあ。
学校側からすれば、母親はまさしく
モンスターペアレントのごとくだし、かたや
母親側からすれば、学校は
息子に対して暴力を行う担任と、ただただ
謝罪のことばしか言わない校長や先生の居る、
ひどい学校だとしか思えない。
つまり、どちらも、相手のことを
怪物(モンスター)だと感じてしまっている。
そのこともね、いわば、
「保護者」という立場と、
「学校」という立場という
人と人との立場のちがいによって、
人間同士の対立が巻き起こっている、
って解釈できるとも思うけれども。
そんなにも対立をしていた、
湊の母親と、その問題により退職となってしまった
湊の元担任教師とが、
映画の終盤では、とある出来事によって
二人がチームのようになる。
以下、作品の最重要ねたばれになりますが、、、
湊と、湊のクラスメイトの依里が
台風の日、行方不明になって
彼らを探すため母親と元担任の二人で出発する。
ってゆうときにね、湊の元担任教師は
以前の授業で依里が書いた作文を読みながら、
そこで記されていた暗号のようなあることばから
ある事実を考えるに至り、そして、そのまま
湊の自宅へと行き、そこで、湊の母親と対面して
湊が行方不明になっていることを知る。
というストーリーのなかでね、親と
(元)教師という立場のちがう二人が、
チームのようになったのは、
子供が行方不明になり探す、
という共通の目的があるからだと思う。
なおかつ、(元)担任教師が生徒の
とある暗号のようなことばを見て、
とある事実を知ったからだとも思える。
「大切なことは目には見えない。」
というのは、サン=テグジュペリの
『星の王子さま』で言われていたと思うけれども、
映画『怪物』のこのシーンでもね、
いちばん重要な物事は、
暗号のようにでしか語られなかった。
つまり、本当に大切な事実は、
目には見えないような、
隠された場所で存在している、
というふうにも考えられる。
だからこそ、本当の事実を
注意深くなりながら、
見ようとしなければならない。
そして、なおかつ、本当の事実を
知ることができれば、これまでなんだか
よくわからずに感じていたような
「恐怖」も無くなるんだとも思う。
つまりはさ、
「恐怖」の感情とは、
立場がまったくちがう人同士の
おたがいの誤解などによって、
ある事実が歪められて、その歪んだ事実から
おたがいがあらぬ想像をしてしまうことで、
発生してしまうやもしらない。
ならば、本当の事実をきちんと見て、そして
おたがいがコミュニケーションを取る、
というのが肝要なのだとも思うけど。
それは、でも、ことばで言うのは
容易くとも、現実問題では
非常に困難だと考えられる。
つまり、事実を見て、おたがいがきちんと
コミュニケーションを取ることができれば、
戦争は無くなるのか?!
と言えば、ぼくは、
くわしいことはわからないけれども、
簡単では無いことは想像できるから。
前回及び今回のブログでは
「恐怖」について考えてみたですが、
とは言えども、ぼくは
本当の恐怖は知らないんだと思う。
つまり、たとえば、いつ、この場所に
爆弾が落っこちて、そして、じぶん自身が
すぐにでも死んでしまうやもしらない、
という恐怖は、ぼくは、想像もできないから。。。
うまく言えないんですが、あらためて
映画『怪物』を鑑賞しながら、そのような
「恐怖」のことを考えておりました。
令和6年11月2日