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音楽を聴けない気持ち。(ばらの花〜Yesterday re-mix)

ぼくは音楽が好きで、なので
音楽を聴くのが好きだとしても、
どんな音楽も好きで、かつ、どんなときも
音楽を聴いているわけでもない。

どちらかと言うと、じぶん自身の興味に対して
保守的な性質があるぼくとしては、たとえば
大好きなバンドやミュージシャンさんの音楽が好きで、
その逆に、あまり知らない音楽は
あまりよくわからない、とも思ってしまうたちだし、
考えてみれば、一日のあいだでも
音楽を聴いている時間ってそれほど多くないし、
そして、疲れているときなんかは
音楽を聴きたくないと思う場合もある。

これまで、とくに、四年前の
令和二年に父が亡くなったときには、
いつも車を運転しながら聴く音楽も、
聴きたい気持ちにはぜんぜんなれなくて。
数日間か数週間か、ずっと、車の
オーディオの電源を切ったままにしていた。
そしてあるころ、そろそろ音楽を聴きたいかなあ、
って思えるようになったころ、でも、
まだ、いつも聴くような曲や歌や
ロックやポップの音楽は聴けずに、
このとき、ぼくが聴こうと思ったのは
レイ・ハラカミさんの音楽なのでした。

ハラカミさんのね、やさしくて、そして
どことなく不思議とも感じられる音楽を聴きながら、
すこしずつ気持ちも落ち着いてきて、その後には、
ハラカミさんによるくるりの
『ばらの花』のリミックスも収録されている
アルバム『ゆうげ』を聴いていたら、だんだん
歌の音楽も聴けるようになってきた、
という経験があるですが。

このことより思い出されるのは、
以前、坂本龍一さんがおっしゃっていた
2001年の「911」ののち、ニューヨークの街では
音楽という音楽が消え、また、坂本さんご自身も
まったく音楽を聴けなくなってしまった、
しかしその後、地下鉄の駅で
ストリートミュージシャンが演奏される
ビートルズの『Yesterday』をふと耳にして、
いたく感動した、というエピソードなのですが。
「911」直後のニューヨークの街で暮らす人々の気持ちは、
ぼくには想像もできないけれども、でも、
悲しみや疲れや焦燥のなかで、
音楽を聴けない気持ちというのは、
ぼくもわかると言えばわかるから。

さくじつのブログのなかではね、
ゲームミュージックについてしるしながら、
ゲームの音楽に限らずあらゆる音楽について、ときに
うるさく感じられてしまったり、
その場の邪魔になってしまうこともある、
その逆に、その音楽が
その場にあるからこそ素敵な空間になる、
とも申しあげましたが。
音楽とは、楽しいものでもありながら
困難なものでもあると言えるのでしょう。

愛のばら掲げて遠回りしてまた転びながら、
オー、アイビリーブインイエスタディ。。。

令和6年7月3日


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