楽天的に生きていると、たまにどデカい不安に襲われる

少し前にYouTubeを始めました。演奏・撮影・録音・編集、色んな作業をするのが結構楽しい。良かったら覗いてみてください。


動画編集にはiPadを使っている。編集といっても簡単なものだから、スペックをもて余している感は否めない。そのぶん、「自分はiPadを使っている」という優越感に浸ることで元を取ろうと思う。私が購入したのはiPad Proの12.9インチ。いちばん高価なiPadで、学割をつけても14万4000円かかった(金額は推定)。

どこにそんなお金が…?

iPadの購入に高額を要したと書いたが、これは半分は誤りである。私がiPadの対価として大金を支払ったという事実はどの明細にも書いていない。厳密に言えば、私はこれから高額を支払うことになるのである。

ここまでのことは、ネットショッピングではクレジットカード払いや後払いが主流である我が国ではよくある話である。口座や財布から現金が支払われるより先に、購入した商品が手元に届く。だからこそ、消費者は予算を立て、安全な買い物をしなければならない。

しかし、この仕組みは我々極貧にとっては極めて画期的であった。

現金が後から支払われるということは、現在お金を所有していなくても、欲しいものを手に入れることができるということである。要するに、今は支払う能力がなくても、未来の自分が支払ってくれると信じる事さえできれば、我々はたった今、どんな高価なものでも手に入れることができるのだ。こうして、我々は資本主義の呪縛から逃れることができる。

iPadの購入のため、私はクレジットカードを使用し、24回払いを選択した。ただし、預金口座の残高は、限りなく0円に近い。14万4000円の支払いは、そのまま未来の大學氏に託された。


借金をする勇気

結果的に、iPadの購入は大成功であった。iPadが手元にあることで、私の人生は大きく変わった。iPad Pro(12.9インチ)は私のクリエイティビティを大きく引き出してくれる。合唱やピアノの練習も、これがあればますます効果的で、楽しい。もっと早く買えば良かった、なんてことを思う。

一般的に、借金をすることは怖いものだ。世間は私のように後のことを考えずに行動する人のことを、やや蔑みを込めて「楽天的」だと言うだろう。大いに批判してくれて結構だ。

「借金をしないこと」と「今を楽しむための散財を惜しまないこと」どちらの方が幸せだろうか。この問いに明確な答えはない。だが私は、多少のリスクを冒してでも、幸せを掴みにいきたい。後のことは、どうにでもなるだろうから。そんなふうに考える。

恐怖を捨てよ、金を使おう。昔の遊民はこう言った。紙幣は使わない限りはただの紙屑だ。その紙屑に価値を与えるのは紛れもなく所有者自身である。私はそれに飽き足らず、存在しない紙幣に一時的に価値を与えて高額な買い物をした。やがてその存在しないものを存在するものに置き換えれば良いだけの話だ。何も怖がることではないではないか!


楽天的に生きていると、たまにどデカい不安に襲われる

私はいつもこうなのだ。「後のことはどうにでもなる」なんて本当なのか?目先の利益に飛びつくと、後で苦しい思いをすることを、そろそろ学べないのだろうか?以前アコムに借りた30万円の返済、このままで大丈夫ですか?

思うに、慎重にお金を使えば、後のリスクを分散させることができると思う。もっとも、日常生活において細かな出費は避けることができないが、常に小さな節約を意識していると、その分は後から不安に思うことはなくなるだろう。一方で、小さな節約を怠り、楽天的にお金を使っていると、それが後から大きな負担となってのしかかるのだ。日頃から節約を意識し、後のリスクを小さくしておく方が、不安だって小さなものになるだろう。

十数万の支払いも、どうにかなるだろう。普段そんなふうに考えている分、それが難しくなった場合の不安も大きい。一万の支払いならどうにかなるだろう→このくらいの楽天さなら不安の大きさは「一万円分」だ。私はその14.4倍分の大きさの不安を抱えている。

これは借金の話に留まらない。私の場合、留年のことだってそうだ。就活やライフステージの問題、それらを「どうにかなる」と踏んで留年したが、ふと不安に思う時、その不安はとても大きなものになる。リスクを分散せず、後回しにしたことによる弊害である。

とはいえ、お金の話に戻れば、慎重になりすぎてしまっても勿体無いのは事実である。どのくらいお金を使うのはアリで、どこからナシか。我々極貧にとって、「借金をするかしないか」は一つの大きなラインとも言える。

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