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カイリー、パスをくれ。

東京体育館の二階席でウィンターカップを見ながら、中学生や高校生の僕はこの舞台に立ってプレーすることを本気で想像してみただろうかと振り返って、そんなことは露とも考えられていなかったことを急に恥ずかしく思った。

「コートに立てなかったということをよく考えろ」、子供のころに親父にそう言われた場面が一瞬目の前の試合にレイオーバーする。バスケットシューズがフロアに擦れる気持ちのいいリズムを聞きながら、最近ではほどんど振り返ることがなくなっていたバスケットボールをプレーしていた頃の自分を頭の中で軽く旋回させていた。

ハーフタイムのコートに視線を落としながら、シュートの構えをして、虚像のボールをゆっくりと放つ。スリーポイント。ゆっくりと放物線を描いたボールはゴールネットから心地よい音を引き出す。試合を決めるブザービーター。

きっと、ここしばらく渡邊雄太のプレーが頭から離れなかったせいだと思う。12月17日のブルックリン・ネッツ VS トロント・ラプターズ、残り20秒でブルックリンが1点のビハインドという絶対に得点をしなければいけない局面で、トロントはカイリー・アービングにダブルチームでの激しいディフェンスをしかける。ダブルチームを突破してゴール前までペネトレイトしたカイリーはそのままシュート体制にはいる。

カイリーがそのまま決めると思った。新人王、2014年のFIBAバスケットボールワールドカップのMBV、7回のNBAオールスター選出。文句なしのNBA最高峰ガードであり、苦しい局面で試合を決めるシュートを幾度も決めてきた屈指のクラッチシューター。特に2016年のNBAファイナル第7戦では1勝3敗から史上初の逆転優勝を決めるスリーポイントを沈め、クリーブランドに初のNBA優勝をもたらした。フィニッシュはカイリーが決める。きっとこの試合でも。

ペネトレイトからペイントエリア内でジャンプしたカイリーは空中でシュート体勢にはいる。最低でも2点、もしくはファールを引き出してバスケットカウントで3点。ゲームを決める時だ。

ところが、そうはならなかった。

フィニッシュを決めるかと思ったカイリーは左ゼロ度で完全にフリーになっている渡邊に大きくパスを切る。カイリーのアシストを受けた渡邊は柔らかくしなやかフォームでスリーポイントを放つ。ゆっくりとした美しい軌道でボールはゴールに吸い込まれていく。古巣ラプターズから土壇場で逆転をきめる最高のクラッチシュート。

カイリーがゴール前に切り込んでシュート体制に入る間、渡邊はカイリーに大きく手ぶりをし、パスを受ける姿勢で待ち構えていた。必ず自分が決める、という強い意志。何度もフィニッシュを決めてきたカイリーが絶対に外せない局面で渡邊にアシストをしたという事実が渡邊に対する強い信頼を、そして、NBA屈指のクラッチシューターであるカイリーにパスを要求する渡邊の両腕は真っすぐな自信と決意を表していた。

コービーやアイバーソンとプレーする自分を想像したことなどあっただろうか?そんなことは絶対にありえないという無意識の制約が自分を縛り付けて、そんな可能性を想像することすらできなくなって、視座を下げ続けて、できる範囲の努力に終始して、彼らと自分とではもともとの才能が違うんだと、バスケットコートの舞台の内側と外側に自然と境界線を引いてしまっていなかっただろうか。東京体育館でプレーすることすら想像できていなかったのだから。

僕自身はとてもバスケットボールの才能があったとはいえないし、ウィンターカップなんで到底出れるような能力もなく、たいした努力もしていなかったわけで、小学生の頃はむさぼるように見てきたNBAもいつしか現実感を失ったおとぎ話のようになり、そのうちTVで試合を見ることすらなくなってしまった。現実の自分との付き合いが長くなるにつれて、NBAでプレーしている自分を妄想することすらなくなってしまっていた。

けれども、空想の中でスリーポイントを、ブザービーターを打ち続けながら、それを現実へと手繰り寄せるための具体的なステップを考えて、ひとつひとつ実行していく勇気さえあれば、もう少しバスケットボールを愛せたかもしれない。

40人以上のメンバーになったEmpathの一部メンバー。小学生も犬もいるよ。

気づけばコートも変わって、おそらく今も、これからも、想像力と想像を具現化するための具体的なステップを考えて、勇気を持って実行していく局面に立ち続けるし、立ち続けたい。最初はエアボールでいい。シュートを打つことが大切だ。何よりコートに立てること自体が稀有なチャンスなのだから。

メンバーの離脱、構想していた事業の頓挫、市場環境の悪化、相変わらずいろんな問題が立て続けに起こった。目をそらさずに、ひとつひとつ解決していくしかない。それでも人文・社会科学と自然科学、およびコンピューターサイエンスが結びついたテクノロジーの未来、つまりは個別具体的な個人のその個別具体性を葬り去らずにむしろ照らしていけるような、画一性とは逆行するテクノロジーの在り方=共感を形成するテクノロジーの在り方を株式会社という既存の資本主義的枠組みの中から(かつ、その枠組み自体を疑いながら)生み出していくという未来、そういう理想の未来の在り方を常に想像しながら目の前の一つ一つの問題を乗り越えていく。そういうコートで日々プレーができるというとても贅沢な機会を僕はいま堪能している。

結局読書くらいしか積み重ねたものがないんだけど、着実に事業へと接続していっている。

そして積み重ねた一歩一歩が、いつかカイリーからパスをもらうような場面につながっていく。信頼されていなければ、力がなければ、カイリーからのパスなんてとんでこない。だから、カイリーからパスがもらえるように日々準備しておかなくてはいけないし、常にカイリーから来たアシストを着実に決める姿を想像しながら毎日のアクションを実行していかなきゃいけない。ケビン・デュラントと一緒にプレーする姿だってイメージしてなきゃだめだ。渡邊みたいに、大きく手を振って自分からカイリーにサインを送らないといけない。そしていざアシストが来た時には、渡邊がそうしたように、着実にボールをゴールに沈める。

そうやって理想をイメージしながら実践を繰り返していく毎日の中で、僕らEmpathはJamRollという新しいプロダクトをリリースし、新しい仲間をむかえ、去っていった仲間が戻ってきて、新たな応援者を得た。みんなで鐘を鳴らしている姿、人文・社会科学とコンピューターサイエンスの融合を民間企業として実現するという理想、毎朝毎朝、鏡に向かうたびにイメージをし続けた。そうしてイメージをし続ける中で取り組む日々の実践ははたから見たらハードシングスでも、コートに立てるよろこびが勝った。

JamRollリリースのお祝いケーキをみながらエビスビールで悦に入る筆者

小学生の時の引退試合、僕はキャプテンナンバーをつけながらも亡くなったコーチの遺影を抱えながらベンチで試合終了のブザーを聞いた。僕らは区大会優勝という形で最後の試合をかざった。後半からベンチにさげられても声を出して応援していた僕を監督はほめた。これがキャプテンの姿だ、と。

帰りの車で死んだ親父は僕に怒った。

「最後の大事な、優勝がかかった試合で、キャプテンナンバーを背負っているのにコートに立てなかったということをよく考えろ」

腹が立った。でも、親父の言うとおりだと思う。

だから、いまコートに立てるよろこびをかみしめながら、コートに立ち続けるために、クラッチシュートを決めるイメージを常に持って、ひたすらシュート打ち続けながら理想に輪郭を与えていく。そのとき、自ずと声がでるはずだ。

「カイリー、パスをくれ」



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