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ひよこ珈琲について

かつて、実家の近くに、「ひよこ珈琲」というコーヒー屋さんがあった。
「カフェ」ではなく、「コーヒー屋さん」。店主が一人で切り盛りをしており、自家焙煎のコーヒー豆を販売する傍ら、小規模のカフェスペースを営んでいた。「ひよこ珈琲」は不思議な場所で、何かに悩んだり、思い詰めていたりするときに、そこを訪れて店主と話をすると、どうしてかいつも朗らかな気持ちで帰路につくことができた。私は幾度となく「ひよこ珈琲」という場所と、その店主に救われてきた。

はじめは、カウンター越しにポツポツと言葉を交わすくらいだったと思う。何度か足を運ぶうち、顔も名前も覚えてもらって、色々な話をするようになった。「おお、はづきちゃん、いらっしゃい」お店の扉を開けると、店主はいつもそう言って、真顔と微笑の間くらいの表情で迎えてくれる。その声はいつも穏やで、お店は香ばしいコーヒーの香りと、独特の暖かな空気で満ちている。その変わらない「在り様」に、ふっと心が緩むのだ。

最も頻繁に足を運び、話を聞いてもらったのは、就職活動から上京までの5年間ほどだった。当時の私には悩むことがたくさんあって、「どうすれば良いのかわからない」とか「自分の選択に自信が持てない」と思うことが何度もあった。そういう時に、ひよこ珈琲を訪れて店主に話を聞いてもらうと、「こっちの選択肢を取ればいいんだな」とすんなり道が拓けたり、「自分の選択は間違っていないんだな」と安心することができた。肩の荷が降りて、鬱々としていた心が晴れやかになり、自信を持って帰路につく。私にとって「ひよこ珈琲」は、そういう場所だった。

最初の会社でひどい鬱を経験し、少しの休憩を挟んだ後に、転職して上京することになった時、店主にそのことを伝えに行ったら、ちょうど私の上京と同じ時期に「ひよこ珈琲」が閉店することを告げられた。自分の上京と、ひよこ珈琲の閉店が、あまりにもぴったり重なったから、とにかくビックリしてしまって、寂しがったり悲しむタイミングを逃してしまった。

その時に、「あぁ、わたし、ひよこ珈琲から卒業するんだな」と思った。きっとここが無くなっても、ひとりで立てるようになったんだ、このまま上京してもきっと大丈夫、これはきっとそういう啓示ですね、って、店主と話して笑った。

残念ながら、「大丈夫」と思って上京した後も、私は不安障害と軽度の鬱を繰り返しており、果たして「ひとりで立て」ているのか疑問だが、死にたくなったり元気になったりを行き来しながら、まあなんとかやっている(と、思う)。それに、「ひよこ珈琲」と同じように、寛げる場所や話を聞いてくれる人、愛してくれる友達とかが出来て、色々あるけど概ね幸せだ。

だけど今でもふと、ひよこ珈琲の扉を開けたときの、店主の穏やかな「いらっしゃい」とか、香ばしいコーヒーの香り、暖かな空気に満ちたあの空間を、とっても懐かしく思い出す。そしてあの場所がもう無いという事実に、胸がキューっと締め付けられる。

店主とはお別れの時にメールアドレスの交換をしたものの、一度やり取りをしたくらいですっかり疎遠になってしまった。今や彼がどこで何をしているのか、全然分からない。また会えたら、これまでの話を聞いてほしいなと思う。何があって、何を考え、どういう選択をしてきたのか。

きっと彼はカウンター越しに、真顔と微笑の間くらいの表情で、「はづきちゃん、頑張ってるんやなあ」と、言ってくれるんだと、信じている。

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