見出し画像

人生のABテストは難しいけれど

web広告ディレクターという仕事柄、常にABテストを回している。キャラクターの広告バナーかターゲットである女性画像の広告バナーか。よーい、ドンで始まるその検証は数週間でどちらが良い傾向か見えてくる。

20代後半になり、今までの人生で選んできた道について振り返ることが増えた。20代前半までは、自分が選んだ道を正解にできるようにすればいいと思っていた。そして、その選んだ道を正解にするために疑わず前へと進んでいた。しかし、歳を重ねていくうちに段々とあれで良かったのかなと思うことが増えたのだ。例えば、地元の新聞社に入社していたら書く仕事ができていたかな、歯列矯正でマウスピースを選んだけどワイヤーにすれば良かったな、とか。当時自分なりにあらゆることを考え尽くして選択をしたけれど、違う選択をした方が良かったのではないか。そんな風に考えると次第に選択が怖くなっていた。後悔しそう、選んでいいのかなと不安がよぎる。自分の選んだ道を全て正解にできると思っていたのは、人生経験が少なかったからかもしれない。そんな風にモヤモヤとしていた。広告を回すように人生を検証できたら良いけれど、なかなかそれは難しい。

そんなとき、日常の受け止め方や綴る言葉が素敵だなと思っていたあかしゆかさんがエッセイを出されたと知り、早速注文した。あかしさんは、東京と岡山で二拠点生活をされながら編集者・ライターそして、瀬戸内海で本屋「aru」を営んでいる。数日してポストに本が届けられ、まるでお菓子の包みのような梱包に更にわくわくした。年の瀬にゆっくり読みたいなと思い、年末年始の函館旅行のお供としてバッグに詰めた。新幹線の道中に車窓から見える雪景色に心を躍らせながら、ひとつひとつじっくり読んだ。選択に悩んでいた私には「選ばなかったもの」という章が特に刺さった。

もしあのときあの選択をしていたら、今とはまったく違う人生がそこにあったのかもしれないという、人生が刹那的に連鎖してできていることを実感しながら生きる、という感覚。「選ぶ」ということは、「選ばなかった道を捨てる」ことではない。選ばなかった道をも受け入れ、それ共々を含めて愛するということなのだ、と、今は思っている。

海にもぐる 選ばなかったものより

この文章を読んで、私は今までしてきた選択を正解にしなきゃ、と選ばなかった道に思いを馳せないよう蓋をしてきていたのだなと思った。選ばなかった道を後悔するのは負けた感じがして、自分のなかでタブーにしていたように思う。「選ぶ」ことは「選ばなかった道を捨てる」ことではない。そんなあかしさんの考えに触れ、そのとき選ばなかった道に戻ることはできないけれど、その世界線の自分もときどき穏やかに想ってあげられたらいいな、自分のためにもそうしたいなと思った。

「選んだことに対して責任を取る覚悟」とは、「選んだ道」に対してだけではなくって。「選ばなかった道」に対しても責任を取ること。

海にもぐる 選ばなかったものより

これからの人生で、転職をしたり家庭を持ったりといった選択をするかもしれない。あるいは自分ではどうすることもできず進まなければならない道もあるかもしれない。そんなとき、選んだ道も選ばなかった道もまるっと受け入れる覚悟を持って進んでいきたいと思った。振り返ったときに良かったよと自分に言えるように。

この記事が参加している募集

わたしの本棚

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?