私と過敏性腸症候群ガス型⑶

別室登校は、いつ来ても帰ってもいい
1人で空き教室を使う

私の担任の先生は、滅多に来ないので
1人きりだった

学校に行く時は、皆んなと朝登校するのは
イヤなので、授業が始まった頃に登校

何をしなさいと言われることもなく、
ただ、空き教室で窓からグラウンドを見たり、
見たら見たで本当は参加したいのにと
時には泣いたりなんてこともあった

教室へは、週1回来るスクールカウンセラーと話したり、ボランティアで来ている心理学生と話したり、たまに友達が遊びに来てくれていた

他の残りの時間は、お昼休みになると皆んなが廊下に来たり、隣の部屋に来たりするので、バレないように息を潜めたり、隠れていた

本当に辛い時は、休み時間前には帰っていた

別室登校になって、私1人の空間になったこともあり、症状は少しだけだが、和らいでいった

が、精神状態は変わらず良くない状態だった

中学1年生の発症時からは、自己否定が酷く、私なんか居なくなればいい、消えればいいと毎日思っていた。実際に実行しようともしていた。

それぐらい毎日毎日が辛い日々だった。

どうしても参加したかった修学旅行も参加はしたものの、1日目の夜には精神的に限界、症状も悪化

私が寝てると思っていた同級生が臭いのことや、悪口を言ったり、私が横を通った時だけワザとらしく壁をドンっとしたり、本当に色々あった。

修学旅行中の症状は、どんどん悪化
悪循環だった。

帰ってきてからは、不登校と数時間だけの登校を繰り返していた。

どうしても、高校へ行きたかった私は
秋になり、ようやく猛勉強

たまに別室登校しても、
高校入学の為に勉強の日々

(家庭教師をお願いしていました)

そんな甲斐もあってか
高校にも受かり、卒業まで残り数日で
初めてクラスの教室で授業を受けれた。

体の状態も良くはなかったですが、学校に逃げれる場所(別室)があるのが、良かったのかもしれない。

この頃には、近くの消化器内科で
過敏性腸症候群ガス型 と診断を受けた。

4月高校へ入学 

新しい環境、新しい友達
やり直す為に少し離れた場所を選んだ。

が、
体は言うことを聞いてくれる訳でもなく悪化、
ストレスにより、食事も殆ど食べれない状態へ
数週間で陥った。

ある日、体育が終わりマイクロバスで
皆んなで帰っている時に症状が出てしまった。

1人の女の子を中心に男子生徒から、臭いから始まり、様々なことをバカにされた。

その時は、聞こえないフリをしてやり過ごしたが、勿論耐え切れる訳もなく、
徐々に学校へ通えなくなり、再び不登校へ

その場に居て、何もしなかった担任の先生は
何度も何で来ないのか!学校来いよ!皆んな心配してるぞ!と伝えに自宅へ来た。

が、当然行ける訳もなく、、、

本当に親不孝な娘で申し訳ないのですが、再び冬前まで不登校、引きこもり状態へ

少し元気になったタイミングでアルバイトを始めたが、1度不安になると症状が悪化。そこでも嫌な経験をした。

私があまりに症状が酷くて、店長から落ち着くまで休憩を頂いた時に、それに対して、気に食わなかった先輩大学生が臭いから始まり、ずるい等といった様々な言葉を店長達と笑いながら、私にも聞こえるようにワザと言ってきた。

その時、大学生の方は、生理痛が辛くて、店長達も連勤が続いていた状態で頑張っているのに!何であの子だけ!!と言っていたので、本当に私の言動が余計にイラッとしたんだと思う。

少し精神状態も安定したものの、不安定には変わりなかったので、その日から引きこもり生活へ逆戻り、アルバイトも辞めた。

ただ、ここで無理せずに辞めてよかったと思っている。

その後は、冬前から通い出した心理カウンセラーの方の紹介もあり

私のような子どもが多く通っている
通信制高校へ編入した。

先生の協力もあり、約1年分の単位を取得の為にレポート提出、スクーリングでの実技、テスト

何とか留年せずに
ギリギリな状態で滑り込みが出来た。

この頃は、マイクロバスのような狭い空間や
電車が恐怖で苦痛だったので、音楽を聴きながら
通学は、どうにかやり過ごしていた。

ただ、無理な時は場所も関係なく
電車の中でも我慢出来ずに
ただただ、泣いていた記憶がある。

常にいっぱいいっぱいでギリギリな状態だった

カウンセリングには、2週間に1回
消化器内科には、名医がいると聞けば
病院を変えて行く、転々としていた。

この頃ぐらいになると、ネットにも以前よりも過敏性についての情報が出てきたので、出来る範囲から試した。

が、効果は全く無かった

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