男性学基本論文集感想

男性学基本論文集読み終わりました。専門に自分が言ってる以上1度通っておきたいなぁと思いまして。

それと、こうした学術論文を読むことで、自分の知識を増やしていきたいということ、高知やカウンセラーといった職業をしている方には、理論基盤がない人が多いと感じていて、やはり自分自身もコーチとしての理論基盤あるものの専門として男性性を扱う以上は主観だけでなく、押した理論を学んでおきたいと思ったのがこの本を読み始めたきっかけでした。

タイトルのように、この本は、男性学と言うものについて解説された判断ですが、男性と言うジェンダーが歴史や社会あるいは軍隊といったものの中で、どういう風に扱われてきたかということが複数の文献から解説をされていました。

学びになったことをレックすると、まさに枚挙に暇がないと言うふうになるのですが、現代社会においても男性性と言う概念は徐々に変化してきており、いわゆる筋肉質の強い男性像と言うものに加えて、きれいなあるいは知的な男性像というものが、現代では求められている。そしてその男性像から離れている自分を認識することで、男性あるいは女性もそういった理想の男性像を追い続けていると言う理解ができたのが大きな学びでした。改行改行特に男性、男性性、そして援助要請の文脈と言う項目で触れられていたものが、まさに自分が今求めていた文献像でした。

ここによると、男性は女性に比べて、自分に援助が必要な感情的な問題を抱えていても保険の専門家(現代で言うと、カウンセラーやコーチ)に援助を要請しないというのがデータとしても立証されているということでした。

男性を語る際には女性にも触れないといけないと思う。ですが、女性は男性に比べて悩みが悩みであるとはっきり分からない状態でも援助を要請することができると言うしなやかさを持っているといったことも触れられていました

男性は、他者に頼ること、援助が必要であると認めること、感情的に自分に問題があることを認めるということは、肉体的な強さだったり、感情を自制できているのが、真の男性であると言う男性像から離れてしまうため、言葉にする過程において非常に大きなタスクを抱えているそうです。

それを裏付けるかのように、伝統的な男性性を支持する男性は、感情を吐き出すといったカウンセリングよりも、自助努力、技術的能力、達成を強調するような援助の方を好むと言うデータもあるそうです。

また非常に面白いなと思ったのが、男性は援助を受けることに対しての感情的なコストが高いため、援助を受けたということに気づいていないまたは報告をしないと言うことも示されているそうです。

これは対人援助として動いている中でも思うことなのですが、男性の方がより情報に価値がないあるいは自分が人と出会ったことで、ポジティブな影響を受けていると言うことを、まるで自分の手柄のように感じていると言うところが大きいように感じていました。

これが実際のデータとして示されていると言うのは非常に必殺的だなぁと思いました。

一方で、男性が人に援助を求める際に、その援上をしたいことの内容が普通の事であれば援助しやすいといった内容も書かれていました。

例えば、重い荷物を持つのを手伝って欲しいのような誰が見ても当たり前にサポートが必要な状況においては、男性も援助を求められるそうです。

一方で、その内容が個人的な感情、自分の中にあるものだと、それが普通であるかどうかと言う判断がつかないため、そういった問題を抱えていると言うこと自体に後ろめたさを感じてしまうため、問題を抱えているということを発言することが自尊心を傷つけると言うリスクを侵している可能性があるということでした。

いずれも標準的なあるいは伝統的な男性というものが、男性の相談をしない援助を求めないということを行動につながっているため、やはり援助するあるいはされるということが自身の能力を高めていくといった情報発信やパラダイムシフトを起こしていかないと難しいのだなぁと言うふうに思いました。

他にも現在の営業成績を比べるようなやり方は、男性同士が人に援助を求めると言うことに対しての抵抗感を作り出すといったデータもあり比較や競争させると言う方略よりも情報を提供すると言う方が援助要請に対する抵抗を減らし、結果的な能力の向上につながることも刺刺されていました。

また最近僕の持論であるコーチングが人を殺しているのではないか?と言う疑問に対しても、一定以上の答えをこの本は提供してくれました。

現在はメリトクラシーと呼ばれる能力主義社会になってきています。
人生の結果は、ほとんどは個人の努力と能力によって管理されるものと言う思想が広まってお、成果は個人の決定によってもたらされるもの。つまり「「自己責任論」によって全てが説明されていると言う考え方です。
またアスピレーション=特定の状況に関して、若者たちが抱く願望は環境によって左右される。つまり周囲の環境によって努力する人が多ければ、その人も努力をするアスピレーションを持つことができるし、そうでなければ低いアスピレーションを持つという結果も示されていました。

現代はSNSの発達などによって、こういった環境を自分好みに作り替えていくことが可能な社会になっています。
しかしその環境と言うものは自然的に与えられるものではなく、自分が選択をしていき、不都合なものが何もない環境になっていることも多いです。また、そこで作られた環境は主に見せかけの環境になっており、いわゆる発信者、インフルエンサーの影の努力やストレスといったものは何も見えない状態になっています。そういった中で形成されるアスピレーションと言うものは、そういったストレスが度外視された理想=ワンダーランドのようなものになってしまっていると思います。

アスピレーションと言うのは、コーチングでいうところのビジョン形成に非常によく似ています。

アスピレーションとビジョンの違いと言うのは、アスピレーションが成育要因やその人の過去に多くの影響を受けて、形成される一方で、ビジョンは現在過去未来すべての枠を取っ払って考えられるというところでしょうか。

しかし、いずれの概念においても、今ここにある自分というものがないがしろにされている可能性がある事は否定できないです。

男性が男性であることを求められているようにこういった自分の未来への欲求というものは、外して、現代の今の自分を否定するものでもあります。

つまり理想の自分理想像を言語化、あるいは可視化することによって、今の自分ではなく、未来の自分、あるいは求められている自分を行使することにもつながります。

本書の中でもDoing genderという言葉が使われていたように、こういったビジョン形成などはDoing future,Doing 〇〇といった、自分以外の何かを自分自身が演じる結果になっていると思います。それはBeingを重視するコーチング、あるいはカウンセリングの理論とは、全く異なるものになっているように感じました。

これらを踏まえて、まず男性あるいは経営者個人事業主は今ある自分の姿を認めることというのが非常に大切だなということを改めて学びました。

そして些細なことでもまずは相談をしてみるというのが必要だと思います。
特に事業主は何でもない相談を人にすると言うことをしてみた方がいいと思います。

ただここにあたって非常に難しいことがあります。

それは事業やっていればいるほど周りには相談を受けるプロがたくさんいるということです。

これはすなわち相談をするには、金銭あるいは対価が必要だと言う刷り込みにもなっているように思います。

しかし、相談と言うものは本来金銭が発生するしないにかかわらず、もっと気楽に行って良いもののはずです。

そこで私がお勧めするのは、その道のプロじゃない人に相談を持ちかけてみるということです。

例えば、リフォーム屋さんにSNSのやり方について相談をしてみる。
逆にSNSのコンサルタントに恋愛について相談をしてみる。あるいはコーチにお菓子の作り方を聞いてみるなどなど…

プロに聞けばお金がかかる。
当たり前なのですが、この学びが我々を孤独にさせていると思いました。

人の時間をいただくには、お金が必要だと言う先入観がより経営者や事業主を孤独にさせていると思います。

もっとラフでいいのではないかと。

そういった普通の相談の中で、自分に専門的なアドバイスやケアが必要だと感じたら、その時は周りにいるプロの方にきちんとした対価を払ってアドバイスをもらうと言う流れが良いのではないでしょうか。

あるいは、そういった相談と言うものを意識的にしづらい場合には、何かしらの組織に入って、集団からのケアを受ける、あるいはイデオロギーを共有するような場に赴いて、自分自身の拠り所になるような場所や人組織を作ってみるのも良いと思います。


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