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琉球の王様の別邸「識名園」へ

テレビや雑誌で見て気になっていた沖縄の識名園へ行ってきました。琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待用の庭園建築。国指定の特別名勝でユネスコの世界遺産!です。

園内を順路に沿って歩いて行くと御殿があります。
一見、琉球の民家のような佇まいの建築です。多分、以前にみた民家の雨端がある屋根が目に入ったからかと。

靴を脱いで室内から外を眺めます。雨端柱と部屋の柱がピッタリと等間隔で心地よいリズム感。雨端柱は製材しない自然のままの形状で、部屋の柱は製材して四方を面取した形状。等間隔に立つ柱の表情の対比が面白かったです。

室内をどんどん進むと民家のように見えた建築は、多くの部屋が連なる実はとても大きな建築だということがわかってきます。王様の別邸ですからね〜。

御殿を拝見した後に池のある回遊式庭園へ。
庭園の見所の一つであるあずまやの六角堂。周りの池に水紋が立つと風が吹いて涼しさを運んできました。おそらく庭の高低差や樹木の配置と風の流れを計算して六角堂の位置を設計したのだと想像しました。

池の周りをどんどん歩いていくと邪気の全く無い、良い「気」しかしませんでした。もしかして、「気」まで設計した?

勧耕台という高台からは南部方面のパノラマを臨むことができます。中国からやってきた冊封使たちに高台から海が全く見えない景色を見せることで、琉球の国土の広大さをアピールするためのビューポイントだったそう。

池の終わりには船揚場。識名園での楽しみの一つに船遊びがあったそう。さすが、琉球の王様の優雅なこと〜。

庭から見る御殿は、一見した時とは異なり、複雑に棟が連なる実はとても大きな建築であることがわかります。中国からやってきた冊封使たちもおそらく同じことを感じたと思います。

ガイドさん付きの見学では無かったので御殿について幾つか疑問が残りました。後日、沖縄県立博物館のライブラリーでその疑問に答えてくれる文献を見つけてスッキリ!

参考文献はこちら。
『名勝「識名園」の創設〜琉球庭園の歴史〜』(古塚達朗 (有)ひるぎ社 2000年)

疑問その一 御殿の木材は何?
雨端の柱は以前みた民家からチャーギだと想像したのですが、その他の材は何だろう?と気になりました。
御殿の建築材も主としてチャーギであるとのこと。禁制材であるが、王家の別邸のためふんだんに使用することができた、とありました。

疑問そのニ 玄関右手の目隠しの材の最上段の一本の材だけ上へ跳ね上がっているのは何故?
私はリズム感を作るための意匠と想像しました。参考文献によると次の通りです。
「日本的な「九分は足らず、十分はあふれる」といった発想から、調子を外している。」
ふ〜む、好きな世界観です。

疑問その三 前の一番座と一番座と、なんで二つ?
民家では一番座、二番座があるのは知っていたのですが、ここは前の一番座と一番座、前の二番座と二番座がありました。
前の一番座(本座)は、冊封使の一行が到着して王様が出迎えた後にお茶や煙草でおもてなし、そして庭を散策し、一番座(本御座)でお料理と三線でおもてなしをするそうです。
なるほど〜、民家とは格式が違いますね。

疑問その四 台所の出入口にある聞き慣れない御茶湯御酒羹所の用途は?
床に石灰岩の額縁状を設けてその中に砂を敷いてあります。ここに炭火を入れて供する茶湯•酒•料理を温めておくホットプレートだったとのこと。温かいものは温かくお出ししないとね〜。

疑問点もスッキリしたところで、あらためて識名園はなかなか見応えのある庭園建築だなぁ、と思いました。造形としての美しさはもちろん、外交のおもてなしの場としても配慮されていることがわかりました。紅型の装束を纏った優雅な琉球の王様のおもてなしの姿がイメージできます。
風の流れや気までも五感で楽しめた、建物がたりです。

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