見出し画像

2か月で13の美術館に行ってた話!

少し毎年と違う2021年の正月は、初詣に行ったことではなく、おばあちゃんの家から帰ってきたことでもなく、買いだめした餅がつきたことで、我が家は終わりを迎えた。年が明けたといえど、ウイルスや社会の形があまり変わることはなくて、大学には行っておらず、友達にも会えない。何かないかなあってぼやいてた時に、母は私に「ぐるっとパス」を勧めた。

ぐるっとパスは、2か月限定で、関東、主に東京の美術館や博物館を安く、もしくは無料で入ることができるというものである。値段は2200円というのだから、4つくらい周ったら元とれるのでは?というお得感。私は元々美術館に行くのが好きだったので、今にぴったりじゃん!お母さんありがと!となり即買うにいたる。結局とても楽しく2か月が過ごせたし、今数えたら、知らぬ間に13ヶ所周っていたらしい。中でも印象に残った作品をいくつか、残しておく。​

石岡瑛子展at東京都現代美術館

 私の中では13の展示の中で、ぶっちぎりで1位の展示。大変恥ずかしながら、彼女の名前自体、展示会にいって初めて知ったのだが、もう本当に何で今まで知らなかったんだ,,,と過去の自分を恨んだ。それくらい衝撃的な作品だった。

 まず、石岡瑛子と書かれた真っ赤な壁から始まり、歩き出すと彼女のインタビューが響いていた。若干その異質さに慄いていたが、冒頭、「私はスノッブな、少数の特殊な人たちに向けた空間作りには興味がない。大衆に向けた作品を作る」という言葉から、もう作品への興味以外の感情を失った。私の中で、美術や写真というのは、「私達が普段取りこぼしている、けれどとても大事なもの」を拾って、後世に残していく、というものであった。それらを拾い集めていたものが、誰かの目にとまり、じわじわと認識が広がっていくという考えで、最初から「私は大衆に向けた作品を作りたい」との彼女の言葉は、中々に新鮮だったのだと思う。

 さて、展示を見てみると、なんとまあ一つ一つのメッセージ性が強いこと。それらには彼女の強い女性像が鮮烈に浮かび上がり、男女共同参画社会法が生まれる前に、日本社会に大きな足跡を残した人物で間違いないのだと思った。次々と社会に一石を投じるような作品、特にミッキーマウスのX像の沈黙など、他の追随を許さず作品を生み出し続ける姿に感動した。単純かもしれないが、かっこいいと思った。また、この展示会は二階に分けられていて、エスカレーターで降りたところに彼女の年表があったのだが、なんと一年に一個以上の作品を何十年も作り続けていて、うそやん…と声がでてしまった。彼女が作った資生堂のCMはどれもかっこよく、それなりに長いものだったけど、ガチで2周した。シルクドソレイユの衣装や、胸から赤い糸がでてくる映像(メタモルフォーズ)、どれも衝撃的だった。彼女は絵、ポスターにとどまらず、映像作品も彼女が死ぬその時まで作り出されていて、尋常じゃないバイタリティを感じた。ちなみにこの文章を書いているのはこの展示に行った2か月後なのに、ほぼすべての作品が思い出せる。配置も覚えてる。この展示会のクイズあったら満点とれる自信ある。それくらい好き。

石岡瑛子:パルコポスター「西洋は東洋を着こなせるか」
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/


小村雪岱スタイルat三井記念美術館

 小村雪岱は、設立したばかりの資生堂で意匠部として働いたそうである。昭和の鈴木晴信と呼ばれるほどの色使いの巧みさには唸った。中でも、小村がほとんどの彼の本の表紙や挿絵に関わったとされる泉鏡花の作品に対する絵は、本当にどれも素敵だった。前に紹介した石岡瑛子展とは打って変わり、彼の使う色彩には原色が少ない。同じく資生堂に勤務していた彼女の作品では、原色を効果的に使うことで、彼女の意志の強さが如何なく発揮されていたが、反対に彼の使う色彩の中には、繊細な気持ちの揺らぎが込められていて、その感情の滲みが、何十年も通して色褪せることなく私たちに語り掛けるようであった。橋に身を凭れ掛け、団扇を仰いでいる女の後ろ姿からは、彼女の心情を鑑みずにはいられなくなるし、モノクロの雨の中、傘から目をちらりとこちらに向ける作品からは、思わずドキリとしてしまう。作品を鑑賞した後は、なんだか短編小説を一度にたくさん読み切ったような疲労感をおぼえた。

小村雪岱:月に美人
https://bijutsutecho.com/exhibitions/7118

生命の庭at東京都庭園美術館

 この名前を見た瞬間に、行かなきゃならんやろう!、と思い何をやっているのかもよく調べずにいった。青木美歌さんの「あなたと私の間に」などの、暗闇でぼうっと、かすかに、しかし確かに存在していた作品は、なんだかナウシカの腐海の森が再現されたようで、良い意味で現実味がなかった。特に印象に残ったのが、志村信裕さんの「Nostalgia, Amnesia」と「光の曝書」。前者は映像作品で、思わず泣いてしまった。一見輝かしいとされる社会の発展と前進の裏には、過去のものの淘汰が必ず存在する。新飛行場の建設により、壊されることが決定している農場で、お互いを温め合い、幸せそうに眼を細めていた猫たちに、「この子らはどうするんだろうね」、と静かに声をかけていたシーンが強く印象に残っている。時代によって良い、悪いとされるものは違くて、選択するのは私達だし、どうやっていくのかも私達だ。知っておいて、良かったと思った。私たちは色んなものを忘れていく。全部覚えていることなんてできない。どうしたらいいんだろう。特に地球環境問題をどうにかしたい、と思っているからかもしれないけど、何か、何かしなければならない、という気持ちが湧いていた。社会の発展って何?豊かって何?なんか、発展って本当にするべきなの?それよりも解決しなきゃいけんことがあるんじゃないの?と思いました。

志村信裕:映像作品 「Nostalgia, Amnesia」
https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/201017-210112_GardenOfLife.html

結果として、外に出る機会が少ない中で、めいっぱいオシャレをして、作品と一人向き合う時間は、私にとってほんとに楽しい時間だった。コロナ時代に学生じゃなかったら、まずできなかったことだと思う。感謝!

また、スタンプラリー制度があることで、自分が普段だったら選ばないような場所に行く機会ができたのも、視野が広がって良かった。さらに、美術館にいくことは、自分がどんなものに惹かれるのかを客観的に見れる良い機会となった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?