ファンとアンチとそれ以外と

元々書き溜めてたんだけど、タイムリーな話題になったね
(2023.08.23加筆)

はじめに

昨今、推し活が一般化するに従い、ファンとアンチの対立も度々見かけるようになった。その言説は基本的にファンとアンチの二項対立で、芸能人に対するアンチコメントに象徴されるように、善悪の判断が分かりやすいものがメディアにも取り上げられるように思う。

ファンとアンチ、二項対立の構造は外から見ても伝わりやすく、顕在化しやすい問題なのだが、実際にファンコミュニティの中に入ってみると、明確なアンチとの抗争はそんなに多くはない。
むしろ、アンチ以外との小競り合いが多いことも体感する。
今日はそんなファンとアンチ以外の話。

ファンとアンチの境界

ファンとアンチに明確な基準があるかと言われれば、応援や賞賛するのか、中傷や批判をするのか、比較的分かりやすい線引きができるかもしれない。

悪意や敵意のみで構成されていればそれはもう明確なアンチですねと。

一方で、明確にアンチと言い切れない人たちもいる。
自分の応援しているグループの界隈だと「厄介」と呼ばれるファンたち。

例えばライブ中にタオルやスケッチブックを頭上で掲げ続ける、MCやパフォーマンス中に周囲に聞こえる声量でマイナスな発言を行うなど。悪意や敵意とまでは行かないが、周囲に悪影響を与えることが分かっていながら、害意を含む行動や言動をする人のこと。

もちろん、時と場合によってその線引きは曖昧に揺れ動くものだとは思うものの、明らかにその回数が多い一部のファンがいるのも事実。

ライブ終わりに、全然ライブに集中できなかったとか、結構相談来たりするし、それが界隈では割と知られたファンだったりするからタチが悪い。

推し活にはライブ以外にも色んな側面があって、一部で推奨できない行動をとっていても、それ以外では模範的と言える場合もある。

「厄介」とはよく言ったもので、この一部が全部じゃないという視点があるだけで賛否が分かれ、周囲を巻き込み諍いが大きくなっていく。この善悪の曖昧さもまた、ファンコミュニティならではのいざこざが起きる要因なんだと思う。

とはいえ個人的には害意がある時点で、泣き寝入りするしかない構造はなんとかしたいのが本音。

こう言う時、一部のせいで割を食うのは善良なファンなんだけども、運営からすれば厄介だろうが客は客。特にメンバーからすればミーグリの枠を埋める太客の可能性もあるわけで、簡単に出禁とはできないのもまた歯がゆい。

ファンとしては、何か問題が起こった時、原因となった1人もしくは複数と、それに近しい小規模コミュニティがネットワーク形成していることを見逃してはいけないということなんだと思う。少なくとも悪さする可能性があると認識・牽制は多少必要なんだろうなと。

同時に、そういう厄介を囲っていたり、後見人のようなポジションの良い年した大人もちゃんと認識しておくのが吉。
把握してる限り、現場で相当悪さしているので、単発の炎上ではなくなるべくして燃えてるんだよな。

自覚なきアンチ「ファンチ」

この投稿は「厄介」にだけ焦点を当てているわけではないので、20年頃から提唱されているファンチ(ファンチ行為)についても取り上げたい。

自分は良識的だと思っていても、誰しもなり得るのでこっちが本題だったりする。

ファンチは、ファンとアンチが組み合わさった造語で、ファンのように見えてアンチ行為をしてしまう人たちやその行為を指す。
YouTuberの中で生まれてきた言葉でまだ浸透しきってこそないが、ファンチという言葉を知るだけで自分の行いを顧みることはできるようになる。

「厄介」を悪意や敵意とまでは行かないが、周囲に悪影響を与えることが分かっていながら、害意を含む行動や言動をする人たちと定義したが、害意がわかりやすいだけ対応もまだしやすい。

「ファンチ」の危険なところは、自らの行いがコンテンツの価値や成長を害していると認識できていないところにあり、ファンチがコンテンツのためを思って行動するほどコンテンツが萎んでいくという悲しい構造が生まれてしまう。

ファンチの例

具体例を挙げてみる。
各種メディアの再生の呼びかけに対して「する意味がない」「それよりもCD購入が大事」「強制するな」といった内容。

YouTubeなら急上昇に表示されることでようやく新規ユーザーの目に触れられる掲出箇所にMVを表示させられるというアルゴリズムの仕様がある。
だからMVを一定の期間内に相当数再生しましょうという話で、お金もかからずデメリットは基本的にない。

それをしないと、「櫻坂 新曲」などの検索を新規の人にしてもらう必要があり、それはあまりにハードルが高い。

上記を踏まえて反論を見ていくと
「する意味がない」
→ 上述の通り。
最低限ではあるがSNSのアルゴリズムを学んだ立場からこれは全否定。
微々たるものでも効果がある。

「それよりもCD購入が大事」
→ CD購入するなと言ってない。
どっちも大事だがCDだけだと片手落ち。
既存ファンが買い支えるのと同様に、新規ファンの獲得は常に行うべきであって、新規からCD購入するに至るまで=CDの購入指標が向上するには相応の時間を要する。

「強制するな」
→強制と取られる言い方をする人がいることは事実。
そこは反省すべきだし、そうならないように啓発はするべきだと思う。
と同時に、呼びかけに対してやりたくないと思うのも自然な反応なのだが、そう思う人に対して呼びかけてないと言う前提も理解した方が良い。

やりたくないという声が多くなるほど、それに賛同する人が増加していき、こういった活動自体を敬遠するようになる。
感情論抜きに、グループにとってのプラスな働きかけを失速させてしまうのなら、何も言わないことこそが最もグループに貢献できるファン行為になる。
口にした結果、なんとなくやらない方が良いという雰囲気に賛同者が増えればそれはもう立派なファンチになるという具合。

次に何かしら事件が起きた時の正義感から叩くもの。
これについては近頃は、触れないようにするという対処法が比較的浸透してきたかもしれない。
問題は起こらないようにすることが最優先で、起こったらリカバリーを考えないといけない。
感情に任せて問題を指摘したり、いたずらに拡散することがファンチになってしまう。もちろん言及するなら共感してくれる味方はほしいってのもわかるんだけどね。

そして、コンテンツを潰していくファンという観点でとても面倒なのが、あの頃は良かった・あの頃が最強といった過去の神格化。
ファンがあの頃が最高だったと語ってしまうことで、外部からは"今は落ち目"という意味に変換され伝達されてしまう。
今は勢いがなくなったんだと暗に自分たちでグループを貶しているなんて、活動している当事者からすれば相当しんどいだろう。

イメージ的には、今はそんなに熱を持ってコンテンツを追ってない過去のファンが、過去を超えて欲しくないという願望も潜在的に含まれた状態で発しているところをよく見かける気がする。
つまり、自分は今もファンではあるが…という自意識のままコンテンツの成長を阻害する情報発信に加担していると言った具合。

幸いにも自分の推しているグループにはまだそういう人たちは居ない。
というか、今から本格的に成長していく兆しを多くのファンが感じているからだと思うが、これ以降はいつ増えていってもおかしくない。
推し活のバーンアウトと同時に、ファンチが増えるかもしれないことは意識しておく必要がある。


ファンチの判断軸

上記のようにとても微妙な差でファンチかファンかは変化してしまう。
偉そうに書いているものの、自分だってファンチ行為をしている可能性は否定できない。

だからこそ可能な限りファンチという行為の存在を認識してほしいという思いが強い。

ファンチ行為になってしまっていたとて、日頃の様子を見ていればそれが悪意があるのか単純に知識が欠如しているのかはわかるので、ファンチが増えないように日頃から啓蒙していくことは重要だと感じる。

仮にファンチ行為をしてしまっていても、それは叩く対象ではなくて、対話によってネガティブな影響があることを理解してもらうに尽きるんだろうな。

今後、色んな界隈でファンチの認知が進んでいけば、判断基準も体系的に整理されていくだろう。

今時点で言えることは、その行為がグループに悪い影響を及ぼしうるか?
くらいの曖昧なものだけど、少なくともファン個人が自分にとってどうのこうのといった私見とは切り離された判断指標になる必要があるんだと思う。おそらく、種々のケースごとで整理されていくんだろう。

最後に

アイドルとはビジネスである以上、成長し続けなければならない。
成長を阻害する要因は、活動や情報発信がターゲットに届いていないといった運営上の課題もあるが、ファンの行動や発言によって阻害されることも多々あるということを再度伝えておきたい。

現代はファンと運営の結びつきが強くなり、強固なファンダムが重要視される時代。結びつきが強いからこそ、ファンダムに求められるのはグループを押し上げる態度と実行する能力。そして、見落としがちではあるが、グループ活動の邪魔をしないという態度と自覚なんだと思う。

自分が良ければそれでいいという態度を貫けるのも、人知れずグループの成長を願って行動しているファンの支えあってこそなんだよという話でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?