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あの頃、もっと推したかった話

はじめに

2022年08月22日、櫻坂46のキャプテン菅井友香さんの卒業が発表された。

Twitterに「ゆっかー」とだけ書かれたツイートが並んでいて、内容は察せた。
TLは偉大なキャプテンに対する感謝と尊敬の言葉が書き連なって、私もブログを読んだ直後から感謝と尊敬が湧き上がり、それは今も止まらない。

同時に、櫻坂46が今日に至るまでの長い道のりも少し思い返し、菅井友香さんを推したかったけど、推せなかった時期を思い返した。


ゆっかーは"推し"か?

菅井友香さんは欅坂46・櫻坂46の象徴であり、この7年間の最大の功労者だ。推しとも異なる特別な存在で、いざ卒業に際してみると、湧き上がる感謝と尊敬は押し以上かもしれない。

もっと正確に表現すると、この7年間を通じて、推しとは異なる感情を持つに至った偉大な存在だ。

本心からそう思っているのだが、"推せなかった"時期について少し紐解いていこうと思う。


先日、ちょうどこんなツイートをした。

そしてこれが先日ツイートした欅坂46時代の1期生の推しメン。

補足しておくと、ツイートでは、2016年3月〜2019年東京ドームまで、グッズやトークを購入するような、いわゆる推し活ができたメンバーを指している。
言い換えると、メンバーに還元されるカタチで応援できていたメンバー。
また、2期生の加入や2019年東京ドーム以降で、推し自体は増えている。

次に、FCの気になる設定。

ライブに初めて足を運んだ2018年6月にFC加入。
以降、手を加えた記憶はない。
推しメンは渡邉理佐さんを設定していたので今は空欄だが、当時から今も変わらず、菅井友香さんは登録されていた。
※推しメン一枠って少ないよね。

さらに、2022年の1月に記載したTwitterのプロフィール。
変更は1回、職業を消した。
期別かつ、広義に推しと思っているメンバー順。
FCと同じ並びだったことには驚いた。

何が言いたいかというと、遅くとも2018年から、菅井友香さんを推したかった事実があったこと。

何事にも真摯に、正直に取り組む姿勢には誠実さが現れていた。
何事にも率先してチャレンジするからこそ、後に続くメンバーも伸び伸びと活動できていた。
ポンコツと言われることもあるけど、多くの打席に立たなければ得られない勲章だ。
なにより、類い稀な包容力・受け止める力は、多くの人が安心感を得ていたと思う。
それと同時に、隙のある様子は親しみも覚え、応援したくなるメンバーだった。

しかし、彼女自身に還元されるカタチで応援はしていなかった。
もっと正確に言うと、応援することを避けていた。


推し活を通じて応援する意味

応援を避けていた理由は単純で、応援するほどに彼女を苦しめやしないかと不安だったからだ。

トークの購読数やタオルの販売数のように、ファン数が売上に反映されるものは、ブログやラジオ、テレビ番組での発言、パフォーマンスなどの評価がダイレクトに影響するだろう。

この数字は人気とも言い換えられるが、悩みもがいている時に数字が伸びるのはどんな気持ちなんだろうか?

彼女が謝罪の言葉を口にして、頭を下げるほどに数字が伸びてしまうのであれば、当時のグループの状況を、ファンとして肯定しているとも取れるんじゃないか?
応援するほど、その時のグループの状況や個人の状態を肯定するように感じてしまう。

キャプテンという与えられた役割を全うする姿は頼もしく、グループを守り、支えていることは誰しも否定はしないはず。
しかし、キャプテンという理由だけでは説明できないほど、過酷な立場と責任を負わされていたように見えていた。

社会や大人に抵抗するグループのなかで、半ば強制的に大人としての振る舞いを求められた彼女に、「その調子で頑張って」なんて口が裂けても言えなかった。

表現のリアリティを追求するグループの中で、菅井友香さんがキャプテンという公人格ではなく、自分らしさに立脚した私人格で、健やかに表現活動できるグループであってほしかった。


あの頃を美化はできない

そもそもライブに通い詰めるようになったきっかけは、2nd. ANNIVERSARY LIVEの公演を、代理センターでやり遂げたと知ったからだった。

天才を間近で見たメンバーが、表現と向き合う決心のもとステージに立った。その事実は、もっと魅力的なグループに進化するんだろうと直感的に思わせた。

事実、2018年はメンバーの個性が多くの人に共有・認識される契機だったと思うし、全員で輝けるグループへ進化するんじゃないかと期待を持ったことを覚えている。

しかし、翌年以降、黒い羊の音源解禁時や9th.シングルが幻となったとで、一人に頼らざるをえないよう見える状況が続くことや、努力を続けるメンバーに焦点が当たりづらい状況は変わらなかった。
なにより、センターの負担を軽減する意味でも、表現を追求するメンバーたちにも焦点が当たる方針に舵を切ってほしかった。

君は君らしく生きていく自由があるんだ歌い届けるグループなのに、自らの意思を封じてるんだろうと伝わってくる。
そんなメンバーを見ていると、なんて不自由で皮肉な構造なんだろうと、心境を想像するほどに目を背けたくなった。心身をすり減らす生身の人間を、エンタメとして消費することに加担したくなかった。

そして、菅井友香さんはグループの矢面に立つからこそ、傍から見てその境遇が理不尽に思える最たるメンバーだった。

それでも、完成したMVを観て多くの人に届いて欲しいと思った自分もいるし、パフォーマンスを生で観て拍手すら忘れて見入ってしまった自分もいる。
そうした小さなファンの反応の積み重ねが、グループの硬直性を高め、身動きの取れない状態を生み出してしまったと、罪の意識すら覚えている。


残された期間と推し活

あの頃を思い出し、当時の心境を書き連ねたところで、菅井友香さんに還元されるカタチで応援していないことは覆せない。

キャプテンとしての人格で活動で活動する姿よりも、1人の人間として自分らしく躍動・表現する姿をもっともっと観たかったというのが本音だった。

一期生は「自分らしさを大切に」という言葉をよく使い、その言葉通り、二期生の意思が表出するまで見守っていた。のびのび活動する二期生は、見違えるように個性が開花しはじめている。

この変化に必要な時間、辛抱強くグループを支えた中心人物は、紛れもなくキャプテン菅井友香さんであり、着実に自分たちらしく、全員が輝けるグループに変化しているように思う。

そして、キャプテンとして大きな大きな仕事をやり遂げた菅井友香さん自身も、表情や振る舞いは以前よりも柔らかく、過去最高に、自分らしく輝いて見える。

アイドルであり表現者でもある特殊なグループの中で、キャプテンという責務から解放される彼女は、残りの期間でどんな姿を見せてくれるのだろう。

今では、キャプテンとして身に付けた能力すら彼女のアイデンティティの一部になっているが、自分らしく躍動・活躍する表現者としての姿を、残された期間で見届けたいと思う。


最後に

菅井友香さんの卒業は、この7年間の活動と切り離しては語れないことがあまりに多く、やはり特別な意味を持っている。

アルバム特設サイトのクイズ企画において、過去に戻ってみたいと答えることからも、きっと語られていない様々な後悔があったのだろうと想像させる。

そう思えばこそ、過去を断片的に切り取って、「欅坂46は伝説だった」なんて軽々しく言いたくない。一部を美化してみても、本人の苦悩や葛藤はなくなるものではない。

むしろ、あの時の選択は、全て間違っていなかったんだなと、そう思えるような未来を作っていくことの方が重要な気がする。
これはグループに在籍するメンバーと、卒業に縛られないBuddiesでしか成し得ないことでもあると思う。

彼女が支え導いた2期生や、そのグループに憧れた3期生のような、未来に目を向けることも、ファンとしてできる最高の送り出し方になるはずだ。

全国ツアーを通じて未だ整理のできていない複雑な気持ちに向き合いながら、最終日の東京ドームでは、心からの感謝とこれからの活躍を願う日になれば良いなと思う。


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