名残り、雪の香(シナリオ)

尊敬する漫画家さん、波津彬子さんの【雨柳堂夢咄其ノ三 収録 秋草闇】【秋霖の忌 収録 なつぎぬ薫りて】に着想を得たものです。

<登場人物>
柏崎正孝:年齢(47)・(17)・(幼少期声)研究者
瑞江:  年齢(不詳)・(17)・(幼少期声)
寺西守: 年齢(25)柏崎の助手

〇暗闇
 真っ暗な闇の中ザクザク柏崎正孝(47)が山を登る音がする。

柏崎モノローグ「私の研究室に雪が届いた。香りのする雪だ。差出人はない。」
   × × ×
〇山中
 背広姿で雪山を登る柏崎。

〇蚊帳のある部屋・室内(夜)
 柏崎が目を開ける。
 うす明るい正方形の広い畳敷きの部屋中央に吊られた蚊帳の中に寝かされ   ている。

柏崎「ここは?」
瑞江「お目覚めでございますか」

 いつの間にか蚊帳の外で和服姿の瑞江(年齢不詳)が正座している。
 白い着物に深紅の帯と銀色の帯締めを締めている。
 慌てて起き上がる柏崎。

柏崎「あの、ここは」
瑞江「山で倒れておられたのです」
柏崎「山で倒れて?それはご迷惑を」
瑞江「さあ薬湯をお飲みください」

 瑞江すっと蚊帳を持ち上げ湯呑が乗った盆を差し入れる。

柏崎「あの」
瑞江「柏崎様もうしばらくお休みなさいませ。まだ夜は明けておりません」
柏崎「何故、私の名前を?」

 ほほ笑む瑞江。
 湯呑に口をつける柏崎。
 柏崎の瞼が落ちる。

柏崎モノローグ「闇に引き込まれる一瞬、微かにあの雪の香が香った。」

〇同・室内(朝)
 蚊帳が巻き上げられ、2方の雨戸と障子が開け放たれている。
 縁側が部屋を囲み、冬支度され雪の積もった庭が広がっている。
 寒そうに景色を眺める着流し姿の柏崎。
 見つめる先に雪をかぶった山が見える。

柏崎「香りのする雪、か」

 柏崎、庭に目を向ける。
 葉を残した赤い紅葉が雪を被って立っている。

瑞江「お寒うございませんか、今年初めての雪でございます」

いつの間にか左後ろに瑞江がいる。
驚く柏崎。瑞江、畳んだ半纏を差し出す。

瑞江「こちらをどうぞ」
柏崎「ありがとうございます。すっかりお世話になってしまって」

 柏崎、半纏を受け取りながら訝し気な表情をする。

瑞江「いかがされました?」
柏崎「あ、いいえ。今香りがした気がして」
瑞江「まあどんな?」
柏崎「雪の香りです」
瑞江「雪でございますか?それは雪玉の香りかもしれませんね」
柏崎「雪玉に香りが?」

 瑞江、柏崎をちらりと流し見する。

瑞江「お見せしましょうか」

〇蚊帳のある部屋・縁側
 瑞江が庭で紅葉の葉に積もった雪を集めている。縁側で眺める柏崎。

瑞江「この辺りでは若い娘が18になったら想う相手を想いながら雪の玉をこしらえるのです」

 雪に紅葉がハラハラと落ちる。

瑞江「雪の玉には自分の香りを混ぜます」
柏崎「自分の香り?」
瑞江「ええ、自分の好きなお香を混ぜるんです、こんな風に」 

 瑞江、懐から懐紙に包んだお香の粉を取り出し雪の玉に混ぜる。
 柏崎、瑞江を見つめる。
 雪に散った紅葉と雪玉を作る瑞江。
 額を抑える柏崎。

〇蚊帳のある部屋・縁側
 瑞江が雪玉を持ち柏崎を見つめている。

瑞江「作った雪の玉はこうやって想い人に当てるんです」

 瑞江ゆっくりと雪玉を柏崎に投げる。雪玉が柏崎の胸にあたり砕ける。
 散らばった雪を見る柏崎。

柏崎「この香りは・・・」
瑞江「ねえ、柏崎様。なぜこの山に来たんです?」
柏崎「わかりません」
瑞江「私、知っておりますのよ」
柏崎「何を、ですか?」
瑞江「あなたに香りのする雪が届いたからではありませんか?」

 目を見開く柏崎

瑞江「その香りに呼ばれてここまで来てしまった、違いますか?」
柏崎「ええ、あの雪の香りをかいだらなぜかじっとはしていられなかった。なぜあなたがそれを」
 
瑞江答えず柏崎を見つめる。

柏崎「もしや貴女が」
瑞江「ええ、あの雪であなたをお呼びしたのは私」
柏崎「いったい何のために?あなたは、あなたは誰なんですか?」

 瑞江、植木を揺らし粉のような雪を手に受ける。柏崎に近づき

瑞江「それを私にお聞きになるんですか柏崎様、いえ正孝君」
   
 瑞江、手の上の雪を柏崎にふうっと吹き付ける。
 舞い上がる雪の中で瑞江がにっこりと笑う。

〇柏崎の研究室(夕暮れ)
 壁を埋め尽くす本棚には本があふれ、床にも置かれている。
 本に埋もれた勉強机に向かい背広姿の柏崎が居眠りをしている。

寺西「教授、教授起きてください」

 起きる柏崎。寺西守(25)が本を抱えて立っている。

柏崎「ああ、すいません。私寝てましたか」
寺西「珍しいですね居眠りするなんて」
柏崎「夢、ですか」

 頭を振る柏崎。

寺西「教授、香水つけてます?」
柏崎「いえ、私では」
寺西「取り寄せた本についてたんですかね。それにしては瑞々しい感じの匂いですね」

 ふんふんする寺西と柏崎。

柏崎「そうですね、瑞々しい・・・」

 ハッとする柏崎

〇山中
 背広姿で山を登る柏崎。声が聞こえる。
(以降、瑞江、柏崎幼少期の声の み。)
瑞江「アタシ、ミズって名前嫌い」
柏崎「なんでミズちゃん」
瑞江「だって、母ちゃんも父ちゃんも川で死んだのに。アタシの名前に水があるなんて・・・」
柏崎「じゃあさ、今日から瑞江ちゃんにしようよ」
瑞江「瑞江?でもまだミズがあるよ」
柏崎「瑞の字はねこういうの」
瑞江「水じゃないね」
柏崎「この字ねお目出度いって意味なんだよ」
瑞江(幼少期声)「水じゃない瑞江?」
柏崎「あとね瑞々しいの瑞江ちゃんね」
瑞江「瑞々しい瑞江・・・ありがとう正孝君」
 (幼少期の声終わり)

〇蚊帳のある部屋・室内(夜)

 瑞江が蚊帳の中で正座している。
 息を切らして蚊帳の外に立つ柏崎。

柏崎「瑞江ちゃん」
瑞江「思い出してくれたの、正孝君」

〇回想・蚊帳のある部屋・室内(夜)
テロップ30年前
 
 蚊帳の中に瑞江(17)が横になって目を閉じている。
 柏崎(17)が蚊帳の外から蚊帳に絵を描いている。
 2方の障子が開け放たれカエルの声が聞こえる。

瑞江「もう一度、雪みたかったな」
柏崎「・・・・」
瑞江「18になって、白い着物に赤い帯締めて雪の玉作って正孝君に当てたかったなぁ」

 一心に筆を動かす柏崎。
 柏崎、筆をおく。

柏崎「見て瑞江ちゃんの雪だよ」

 瑞江瞳を開ける。蚊帳の裾に雪が描かれている。

瑞江「ああ雪、綺麗」
柏崎「当ててよ瑞江ちゃんの雪玉」
瑞江「・・・」
柏崎「瑞江ちゃん、僕待ってるから。10年たっても、20年たっても、30年たっても僕に雪玉当ててよ」
瑞江「ふふ、約束ね」

 瑞江、起き上がり蚊帳に触れ、雪玉作ってを柏崎に投げる真似をする。

瑞江「アタシの雪の香り忘れないで」

 瑞江吐血する。
 蚊帳の雪に血が飛び赤い紅葉のように咲く。
 白い襦袢を赤く染めて倒れていく瑞江。

〇蚊帳のある部屋・室内
 蚊帳の雪模様と血色の紅葉が鮮やかに浮き上がる。

柏崎「僕は目の前で君が死んで辛くて君を忘れたんだ、ごめん瑞江ちゃん。僕、待ってるって言ったのに」

 瑞江、蚊帳の中でほほ笑み首を振る。

瑞江「正孝君は私に名前をくれた、雪をくれた」
柏崎「瑞江ちゃん」

 瑞江、蚊帳に触れ雪玉作ってを柏崎に投げる真似をする。

瑞江「正孝君、アタシの雪の香り覚えていて」

 雪が強く吹き込み、一瞬で蚊帳と瑞江が消える。一人立ち尽くす柏崎。

                                完

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