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4.そもそも,もとはなにがやりたかったのか

指導教官とのミーティングがあった。
なかなかLC-MS/MS解析のための条件検討が進展しない私に対し,
「この実験をなかなか進めたがってないみたいに見える,どうして?」
とおっしゃるので,
「いやあ,良くないってわかってるんですけどね。慣れない実験だもんで,つい……Yes/Noで結果がわかる実験の方に手が向いちゃうんです」
と素直に答える。すると先生は,
「今後の展望を変える,大切な実験なんだから。コンフォートゾーンの外に出ましょう!!」
とおっしゃられる。
わかっとるわい,と思いつつ,なるほど,コンフォートゾーンっていう英単語は,こうやって使うのかと,感心する。
あと,怒るのではなく,笑顔でこうやってエンカレッジしてくれる先生が好きだ。

「私のやりたいこと」について考えている。
「私のやりたいこと」
小さい頃から小説家になりたかった。ミツバチとか集団行動を取る昆虫や,ユーグレナなんかの微生物の行動に魅力を感じる。子供のときから,宝石とか,きらきらしたものが大好きだった。最近は現代アートなんかに熱中していて,自分でも何か作ってみたい。海外のいろいろな場所に住んでみたいし,いろいろな人と話してみたい。

こうやって書きだして見ると,なーんだ,ちゃんと,生物関連の興味があるんじゃん,と思う。
酵母を使って分子生物学的な研究しているので,ちょっと?だいぶ? ずれているけれども。

こうやって書くまで,意識にのぼらなかった。

考えてみると,これまで,見栄を張ったり,実現可能性を考えたり,安全性や安定性を優先したりしているうちに,「好きなこと」とか「やりたいこと」がぼやけていったんだろう。
「好きなこと」「やりたいこと」より,そういった「現実性」の方が優先順位が高かった。自覚はしていなくても,そういったことを考える時間の方が圧倒的に長い。すると,知らず知らずのうちに,そちらのほうを優先した行動を取るようになる。目に入ってくる情報も,そちらのほうを取捨選択して,頭のなかは,「見栄」と「現実性」でいっぱいになる(それが実際,現実に即しているかは別として)。

「好きなこと」って,特に努力もなく自然に好きでいられるものだと思っていたのだけれど,どうも違うらしい。
好きなものに定期的に触れて,そうだ,そうだ,これが好きなんだ。私はこういうものが好きな人間なんだ,こういうことにワクワクするんだ,と,確認したほうがいい。望んでできるものではないけれど,ちゃんとワクワクして,好きなものの前では正しくバカになった方がいい,と最近思う。
そうしないと,いつの間にか,好きなものを忘れるし,好きなものに馬鹿になれる自分自身を忘れる。

確認しなければならない,というふうに強い言葉で書かないのは,義務感があると,楽しくないし,好きでなくてはいけない,という気持ちで,苦しくなるからだ。
特に私はどうも,義務を自分に強いるのがくせになっているようで,その結果,見栄を張ったり,迷走したりして,自分を苦しめている。
それで,だいぶ目の前が狭くなっていたなと思う。
それで,ここまできたんだなぁ。

改めて書いてみて,根底のところでは,ちょっとは過去の「やりたいこと」と今とがつながっている部分があって,正直ほっとした。
現実から逃げまくって,ひたすら後ろ向きな理由でここまで来てしまったわけでもなかったんだな。

今の研究を,心からおもしろいと思っていますか,と言われると,本当は,いや……となってしまう(実際,現実ではそうも言えないのだけれど)。けれども,つながっているもの,つながっていなくて,無理をしていること。ちょっとずつ,かみ砕いて行ければと思う。


追記:
こんな個人的な,誰のためにもならない,おもしろくもないネガティブな記事,発信してええんか?,と思っていたけれど,1と2にスキを付けてくれた人がいた(2024年3月7日時点)。
とっても情けない,ある意味,自分自身の許せない部分を,さらしているような気持ちで書いている。だから,本当にうれしかった。
SNSをやっている人にとっては,そう珍しいことでもないと思う。重くとらえすぎともいえる。
でも,スキをつけてもらえて,こういう情けない自分の部分でも,存在していていいのだと思えて,私はうれしかった。
他人による承認を求めようとするのは,自分の弱みであると思っていたけれど,それを否定する必要もないのかもしれない。
スキを求めているように聞こえるかもしれないけれど,私の気が済むので,追記までに。私の記事,1,2に,スキを付けてくださった方,ありがとうございます。

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