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今だから言えるぼくの悩み〜「普通への憧れ」と30点チャンピオン〜

前書き

こんにちは。はざぶー(仮)です。
ここは人生という旅路をゆく人々が休息をとる場所。パチパチと燃える焚き火の前。出会えた奇跡を喜びつつ、束の間の雑談に興じることができれば本望。そして何かしら参考になれば幸運。そんなことを意識しつつ、筆をとっています。

今回のテーマは「今だから言えるぼくの悩み」について。
ぼくの生存戦略にも触れているので、もしかすると有料化するかもしれません。
さて、記事を書くにあたりツイッターのアンケートをとってみたところ、どうせ弱小アカウント、誰も投票しないだろう、と思っていたら一票だけ入っていた。

しかもよりによって一番重たい部分(笑

やっぱりかぁ、という気持ちと、書けるかな?というチャレンジ精神をぼくの小さなポケットに詰め込みつつ、これまで封印していた重たい過去の蓋を開け、赤裸々に書いてみます。今回もかなり長いです。最後から読むと良いかも?
ではいきましょう。

ぼくの悩みは「人並みになりたい」ことです


人並みになりたかった。
いつからそういうことを考え始めたのだろうか?もしかすると小学生の時にはそういう気持ちをもっていたかもしれない。幼少期は愛嬌も良く、家族や親戚に可愛がられていた。

今もそれは変わっていないのだけれど、一つ違うことをあげると、ぼくはいじめられていた。

例えば「磔」という遊びがあった。
ぼくがグラウンドの金網に大の字で捕まり、クラスの奴らが後ろからサッカーボールを蹴ってぼくに当てる遊び。

例えばスポーツのチーム分け
「とりけん」という、チームの代表者がジャンケンをして勝つとチームに欲しい人材一人を獲得できるドラフト会議みたいなのがあるんだけれど、ぼくは最後まで指名されない。それどころか押し付け合いになる。

もしかしたらのび太くんの方が待遇は良いかもしれない。失点すると殴られるところはまぁ同じ。

教室の椅子に画鋲を仕込まれることもあったし、普通に殴られることもあった。「お前の眉毛を剃ってやる。これからクラスの女子に電話するから『いいよ』と言われたら剃るからな」など、ジャイアンもやらないであろうことを強要されたり。

他にも色々あったような気がするけれど、まぁ本題じゃないのでこの辺で。
あ、背が高かったせいか上級生に呼び出されたこともあった。今思い出した。

さて、これだけ色々やられていたし、当時は鍵っ子だったので少なくとも週3で一人で泣いていた気がする。それでもぼくは遊びの誘いは断らないやつだった。

単純に友達と仲良く遊びたかったから。たったそれだけの願いだったのだけれど、9割その願いは叶わなかった。

たまに、いじめっこと二人きりで遊ぶことがあったのだけれど、意外なことに穏やかな時間だったりするんだよ。おやつを食べさせてくれたりね。今思うと完全に「DV彼氏(彼女)に依存する関係」みたいなものだね。「本当は優しいやつなんだ」みたいな感じ。パチンコみたいだよね。そろそろ当たるはずなんだ。

こんな風に中学生くらいまでを過ごしたのだけど、高校からは徐々にそういうことは無くなっていった。(ハラハラしてくれた読者は安心してください)高校からの話はこの後するとして、改めてテーマにある「人並みになりたい」を説明すると、これ文字通り。例え「いじめ」がなかったとしても、ぼくは自分では「人並み以下」だと認識しているものが多かった。

いくつかピックアップすると、
・算数の授業が理解できない。先生の説明で「あれ?」と思っているうちに話が進んでいる。
・図工や美術の授業は何をしたら良いかわからない。
・運動オンチ。かけっこは遅い。球技なども体の使い方が分からない。

野球?ゴロをキャッチした後どこに投げるの?となるし、投げたボールは明後日の方向に飛んでいった。

などなど。おそらく「説明」に対する理解力が低かったのだと思う。算数なんかで問題の解き方がわからないとき、先生や親は説明をしてくれるのだけれど、それでも理解できないから何度も説明を受けることになる。そうすると、相手の顔色や声のトーンが変わってくるのよね。切ないことに、そういった反応を感じ取ってしまうことでぼくは萎縮してしまって説明を理解するどころではなくなる。相手も「まだ分からないのか」モードに突入するのでとにかくしんどい。こういった経験が蓄積されると「人に聞く」という社会人に必須な行為ができなくなっていく。

聞いて理解できる自信がないし、嫌われたくないからなんとか自分で調べてみる。でも結局わからない。といった具合に負のループ。とまぁ、ぼくの幼少期はこんな感じだった。そんで、ここからどうなったかというのが次の章です。

「観察スキル」の発芽

ぼくは以前、プロ奢ラレヤーさんから「空気を読んでそれを通訳できる能力者」という、第三者が聞いてもまったく分からない「二つ名」を頂戴した。
今回その説明は省くけれど、実はその能力は第二スキル。それを開花させるための第一スキルに「観察スキル」があり、ここからはそれについて触れていく。

さて、今思い出しても死なない程度にハードモードな幼少期だったけれど、それでもぼくはみんなと仲良くなりたいと思っていた。嫌われたくなかったとも言えるかも。なので「現状を変えるためにどうしたらいいのか?」そういうことをしこたま考えていた。

ぼくの身体を張ったフィールドワークによると、いじめっ子のリーダー格は「イケメン(じゃないこともある)でスポーツ万能、成績が悪く、素行も不良だけれど時に素直で正義感を出す」という偏見だらけの分析結果がある。(まさに劇場版ジャイアン!)

いじめに至るかどうかは別として、こういうキャラクターどこにでもおり、残念ながら中学に入ってもそれを攻略しなければならなかった。というかジャイアンが増えた(綺麗なジャイアンは現れませんでした)。どう攻略したものかと日々悩んでいた時に、ある友人との出会いがヒントになった。

そいつは「勉強ができて運動ができない陰キャだし、遊びの誘いも断るのに、みんなに一目置かれる存在」だった。(というかいじめられてないけど最終的に引きこもりになった)この相反するキャラクターが同じクラスに同時に存在することに気づいた時、ぼくの「観察と仮説と実践」が始まった。

仮説と実践

ここからは、実際にぼくが行った観察内容についていくつか紹介します。何かの参考になれば幸い。

中学時代の仮説「偏差値の高い学校ならいじめリスクは減少するのではないか?」

最初に気づいたのは「いじめグループにはリーダーがいる」「リーダーはそんなに成績が良くない」ということ。だから単純にそいつらが入れないような高校に入学することにした。幸運なことにぼくの学力問題は、先述した友人との交流を通じてクリアすることができた。不思議なことにその友人に対しては「教えてもらう怖さ」を感じなかったので、勉強の方法や問題の解き方などを何度も教えてもらうことができたのだ。

そのうちに、自分なりのテスト攻略法もわかってくる。理屈の存在する「数学」「英語(文法)」などは変わらず不得意。正しい答えの存在しない「現代文」と暗記するだけの「社会科」などで点数を伸ばす。最後の手段は教科書丸暗記。そうやってなんとか入試を突破してぼくにとっての新天地に立つことができた。

高校時代の仮説「〇〇くんは△△キャラだよね、は一生もの」

ポジション、立ち位置、キャラクター、役回り、言い方は色々あるけれど、一度でも集団の中で「〇〇キャラ」になってしまうと、そこから抜け出すのは至難。中学までのぼくは「いじめてもよいキャラ」認定されていたので、そこだけは回避する必要があった。そういう考えがあったので、高校では早い段階で「いじめられないポジション」の獲得に向けて動いていた、気がする。

リーダーになりそうな奴と仲良くなっておくとか、普通にみんなと仲良くなっておくとか。幻影旅団の結成前にクロロと仲良くなっておこう、みたいな。もちろん可能であれば旅団は発足させない。そんな感じで、高校以降はなかなか楽しい毎日を送ることができた。

卒業後については「地元に住むとどうしても中学までの関係が影響してくる」呪いから逃れるために東京の大学に行き、結局そこで就職して今に至っている。

社会人時代の仮説「みんな分かったふりをしているだけ」

就職は運よく、都内の上場企業へ金属加工の職人枠で入社することができたのだけれど、そこでもやっぱり悩みは出てくる。

やっぱり社会人なので、報連相って大切じゃないですか?ぼくは相手の言っていることを感情レベル以上に理解できなかったので、例えば会議などだと置いてきぼりになるし「じゃあはざぶー君の考えを聞かせて」となると「よくわかりません。。。」となる。他にも上司から「AをBにして、その後Cに渡して」と言われても「すいません、まず最初に何をするんでしたっけ?」となるし。いわゆるワーキングメモリが少ない人で、それに悩んでいた。今もそうだけど。

そんなことについても、ある日の新入社員研修でヒントを得た。その日はグループディスカッションでこんなことをした。

桃太郎村の地図(こんな感じのやつ)
各自に与えられた情報カードを口頭のみで伝え合い、情報を整理して、最終的には、桃太郎村の地図のうち、「村長の家」がどこにあるのかを特定し、地図を完成させる、というグループワークゲームです。(下画像は情報カードの例)

こういうディスカッションをすると、仕切り役が生まれる。ぱっぱと手際よく進めてくれるのだけれど、案の定ぼくはついていけない。仕方ないので「ごめん!理解が追いつかないからもう一度説明して!」とお願いする。すると、あちこちから「あれ?俺が(私が)イメージしてた内容と違う!?」という声。みんな認識が違った。東大卒もFラン卒も、みんな仲良く認識違いをしていた。(そもそもそれを理解させるためのゲームらしい)

そのことがぼくに一つの仮説をもたらした。「もしかしてみんな分かったふりをしているだけなのか?」ぼくのように「本当は理解していないのだけれど、バレるのが怖くて知らないふりをしている人は多いんじゃないか?」と。この仮説はぼくの中では重要で、それ以来仕事の話をするときにはそれを念頭に置くようにした。

ある日、半ば持ち回りで労働組合の役員をすることになった。そこでは従業員からのいろんな意見を拾ったり、福利厚生について広報誌の発行があるのだけれど、ここではその仮説が大いに役立ったようで、伝え方を工夫して仕事をしているといつの間にか若干28歳で委員長に抜擢されていた。(組合の委員長とは、従業員の代表として社長を相手に、ボーナス交渉やベースアップ、その他諸々の交渉をする人達のトップのことです)

ぼく自身の能力は何も変わっていない。政治も、お金も、なんの知識もない。恥ずかしながら、最近まで金利って何?ってレベル。なんだったら最近ADHDの診断を受けたほど。それでも、自分が理解できるレベルで知識を身につけ、同じような人がいることを仮定して伝えていくだけで周囲から評価されていたから、この仮説は間違いじゃなかったと思っている。

まとめ

長々としたこの「デ文(色々詰め込みすぎて太った文章)」もそろそろ終わり。
ここまで読んでくれた読者の後読感を少しでも高められるように「結局どういうことだったのか」をぼくなりに考察して提供したいと思います。なお、投げ銭をすると後読感は一層高まるのでオススメです。

さて、つまるところぼくは「人並みにできないこと」に長らく苦しんでいました。切ないことだけど、ぼくが算数のテストで「たけしくん」について正しく答える未来はこないので、きっとそういう意味での「人並みになる」というのはこの先もないのだろうと思います。

でも今は「まぁいいか」くらいに思えるようになりました。ぼくがこれまで「うまくやれている人」を観察し、そこから得た気づきを実践していたら、いつの間にか「人並み以上のポジション」が与えられた事実は存在するからです。

さっきの社会人での考察についてもう少し深掘りすると、要点は「たとえ東大生レベルでも0点の不得意科目がある」「その0点を30点にしてあげることに価値が生まれる」ということです。学生時代に5教科全てで満点を取れたとしても、世の中には数えきれないほどの履修科目があり、どんな人でも絶対に取りこぼしがあります。そしてその人たちの一定数は「今更人に聞けない。。」と思っています。

図らずもぼくはそういった「履修し損ねた科目」で30点くらい取れるようにサポートしただけです。ぼく自身、平均点は取れるようになりたいのにどう頑張っても30点くらいしか取れない。けれどそれで良かった。テストで30点しか取れなくても「0点だった人を30点取れるようにすることができる」こと。価値があったのはここだと、最近そう思い至りました。30点チャンピオン。

ここまできてようやく、今日まで思い出したくない過去の苦悩をここに書ける程度には向き合えるようになったので、「今だから言えるぼくの悩みの話」として紹介しました。理想の自分になんてなれないけれど、理想を求める過程で身につけたものに誰かが価値をつけてくれた。下を向いて歩いてもいいし、道草を食ってもいい。そうやって良さそうなモノを拾って身に着けていけば、そのうち本当に欲しかったものが手に入ることもある。そんな話でした。

最後にラノベタイトル風に書いて締めくくります。
ここまで読んでくれてありがとう。書いてないこともいっぱいあるのでリクエストお待ちしてます。

「いじめられっ子でほぼ全ての能力値が平均以下のぼくが観察スキルを駆使した結果、不人気定員割れの技術専門国立大から創業100年超の上場企業に一発採用されていつの間にか社会的地位を手に入れていた件」

おしまい

最後まで読んでくれてありがとう。
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