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1月1日の元旦にひとんちの屋根に登りました

わが家では、家内の実家がある岡山で年を越すことが割と多いのだが、行くたびにいろいろな事件が起き、それらは「かけがえのない思い出」として親族の脳内に記憶されつつある。
今年も例年通り事件が発生したのだが、せっかくなので、このノートを駆使し、記録としてここに事件の全容を書き残しておきたい。

仮面ライダーゼロワンの凧がいけなかったのか?

まずはじめに正月元旦、息子の凧(仮面ライダーゼロワンのやつ)を息子に無断で私が上げ始めたのがそもそもの誤りだったと今になると分かる。

次に失敗したと思うのが、凧を空に上げるときに一緒に自分のテンションまで上げてしまったことだ。ただこれにはちゃんとした理由がある。
それはこの凧上げの2時間くらい前に、実は一人で凧上げをやったのだが、その時には風が無く、義父の会社(岡山にある日本一大きい駄菓子屋)の駐車場を多分400メートル以上、ゼエゼエ息を切らして走ったのだが、凧は全く空に上がらなかった。
これは私に大きな教訓を与えてくれた。凧はダッシュして上げるものではなく、風の力で上げるものなのだと教えてくれたのだ。

走り疲れた私は何食わぬ顔で家に戻り、こたつの定位置に座ると活動を休止、みかんなどを食し、凧上げの機会を待ちつつ、体力の温存をはかった。
しばらくすると、窓の外の様子から風が出始めたようなので立ちあがり、「ちょっと外へ行って参ります」と伝え、手には息子の仮面ライダーの凧を握りしめ、一人広い駐車場へと向かった。

当たり前だが、凧は風があると飛ぶ。
だが、それはさっきまでダッシュして無理やり飛ばしていた人間にとってはとてつもない現象に感じられた。何もしないのにグングンと空高く上がっていく凧を前に、私は無自覚のまま一人興奮状態に突入していったのである。

普段は冷静なタイプなのに……

念のために断っておくが、私は普段、「冷静で落ち着いていますね」と言われるタイプの人間である。大学時代からそうで「年齢の割に落ち着いていますね」という言葉は、この人生を歩む中で多分50回以上は言われてきたように思う。
そんな私だが、この時は限界まで高く上がった凧によって完全に冷静さを失い、上昇したアドレナリンによって、指の精密動作性まで低下(この辺りの相互関係は不明)してしまったらしい。信じがたいことになぜか凧の糸巻きを手離してしまったのだ!

凧が手許から離れたときは「あっ」と思った。すぐに3メートルほど駆け寄り、凧糸を追ってジャンプもしてみたが無駄だった。
その間、10秒くらいであろうか、フワーッと高く飛んで行った凧は凄まじい確率で隣家の屋根のわずかな出っ張りに引っかかり、そのまま天高く飛び続けていた。

しばらく見とれていたが、すぐにこの状態はよくないと我に返り、正月から会社で仕事に当たっていた義父のもとへと走った。

大至急、義父へ報告せよ!!

会社に駆け込むと、義父は机の上で自分に届いた年賀状の山を整理をしていた。そこに「新年早々大変申し訳ないのですが、凧上げを一人でやっていたら、風で隣家の屋根に凧をひっかけてしまいました。正月から本当に申し訳ありません」と私が報告すると、義父は「アラーッ!」と第一声を発し、外に出て現物を見ると「こりゃ、またすごいことになったなー(笑)」と言って、会社にある巨大な梯子のところへ向かい、一緒に梯子を運んでくださったのである。
義父には感謝してもし切れない。本当にこの義父と出会えたことは私の人生の最大の幸運だと思う。

隣家の屋根に義父と二人で運び入れた重い梯子をセットすると、義父が私の代りに隣家の住民に謝罪してくださり、さらに屋根に上る私が落ちないようにと下で梯子を支えてくださった。

私はといえば、屋根に登り引っ掛かった凧を掴んだ後、近くの電線に凧が絡まないよう屋根の上でせっせと凧糸を巻き始めた。
その間約3分。なのに、なぜかそのタイミングで家族全員が家から出てきたため、事件が発覚し爆笑されるという事態になってしまった。
「何で屋根の上で凧上げてるのー?」とか、楽しそうな笑い声が耳に入ったが、こっちは糸を巻くのに必死で会話をする余裕は全くなかった。

「私も父上の後を追う」との息子に涙

ただ息子が「多聞君も行く。お父さんが屋根の上に乗っているのに行かない訳にはいかないでしょ!」と周囲の制止を振り切り、隣家までダッシュで来てくれたのは、息子の温かな愛情を感じた出来事であった。

凧を回収し、改めて隣家へお詫びして家にトボトボと帰る途中、車で自宅へ帰ろうと出発したばかりの義理の弟と道路上ですれ違ったのだが、車中から輝く笑顔で手を振ってくれた義弟の姿が今も忘れられない。
普通に考えて、「お義兄(私のこと)さん、正月から何やってんのやろ?」と思ったのではないかと思う。
私もそう思ったよとだけ、ここでは伝えておきたい。

いい義父に巡り会えた私は幸せである

最後に、妻が事情が分かった上で梯子を一緒に片付けてくれている義父に向かい、「パパ、正月からひとんちの屋根に何で凧ひっかけてんの?」と言ったので私はどう反応していいのか分からないまま「いや、私がやったんだよ」と妻に言うと、「分かってるって」と妻が言い、そのやり取りを義父はただ黙って聞いてくれていた。

私はこの時に改めて義父の優しさを強く感じ、この義父を裏切るような生き方は絶対にしまいと固く心に誓った。

それにしても、新年早々大迷惑をおかけした家族のみんなや訳も分からず家の屋根を他人に登られた隣家のおじいさんにはこの場を借りて衷心よりお詫びしたい。多分、あのおじいさん絶対noteを見ないだろうけど、この記事に思念だけはしっかりと込めておきたい。

そして、来年こそは平穏な正月を過ごしたいと思う。

小~中学校まで高田純次並みに適当な内容の日記を書いて提出していたところ、小・中の担任から「君の文章、変だけど面白いよ」と言ってもらい、書き手も読み手も楽しい幸せな日々を6年程送りました。その頃のことを思い出し、あまり根詰めずに文章を綴っていきたいと思います。のらねこが好きです。