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UFOに連れ去られるといふこと

UFOに連れ去られそうになったことがある。

夜寝ていると、強烈な光で目を覚ます。
目を開けるが、光が強すぎて何も見えない。

しかし、直感的に理解した。
UFOだ。アブダクションされる。

私は拒否した。
「行きたくない」と思った。
恐怖も手伝い、それは強い意思となった。

光は去っていった。
恐怖から解放された私は理解した。

夢だ。

普通なら「変な夢を見たな」で終わるのだろう。
だが、私は普通より本の少しだけオカルト好きだ。

その日は1日夢の事を考えていた。
仕事は片手間だ。

UFOに連れ去られたと語る人は割りといる。
オカルト・都市伝説界隈に限定した話ではあるが、
思ったより沢山いる。

嘘だとは思わない。
しかし、それを見たと言う人が少ないのは何故か。

「私はUFOにさらわれたことがあります。」
これはよく聞く。

「私は誰かがUFOに連れ去られるのを見ました。」
これはあまり聞かない。

その理由を自分なりに考えてみて、出した結論。
それは、

UFOに連れ去られるという事象は、
連れ去られた当人しか認識できない。

ということだ。

客観的には認識できないが、本人は体験している。
まるで夢を見ている時のようだ。

睡眠時、人は意識を持たない。
うとうとして、いつの間にか意識を失い、
気付いたら朝になっている。
それが睡眠だ。

意識が無いということは、
それは無の境地ではないだろうか。
多くの宗教的な修行が目指すところではないだろうか。

人は毎日、無の境地に至る。

その時、人の霊的な部分は、
肉体から解放されやすい状態となり、
簡単に次元を越えられる状態になる。

そこに別次元からUFOが登場して、
魂を連れ去っていくと。

無論、別次元で起こっている話なので、
起きている状態、つまりこの次元に拘束された状態の第三者には認識できない。

これがUFOに連れ去られるということの正体ではないだろうか。

これなら、体験者が多くて目撃者がいないことにも納得が行く。

そして私は気付いた。
「チャンス逃した!」

この考えがもし正しければ、私はUFOに連れ去られるという体験を恐怖心のせいで逃したことになる。

私はオカルト好きを自認していながら
UFOにさらわれる心の準備ができていなかったのだ。

向こう側からしたら、資格なしということだろう。

ーーー
追記

夢とは、脳の記憶の整理だと言われる。
まぁそうなんだろう。

オカルトモードOFFの状態の私はそれで納得している。

しかし、オカルトモードONになると、
どうもそれだけではない気がする。

やっぱり人は、夢の中で次元を越えられるのではないだろうか。

次元に、そして時間にも縛られない、
より自由な存在となり、
様々なものを見る。

例えば未来とか、過去とか、別の世界線とか。

良い夢を見たときは、別の世界線の自分も
幸せなんだなと、少し嬉しい気持ちになる。

悪い夢を見たときは、こっちの世界線で
良かったと、少し安心する。

この世界線が荒れるまでは、
そう思っていられるだろう。

現実はしっかり捉えて、
悲観的な目線も必要だけど、
それに囚われることなく生きる。

そんな生き方を目指したいと思った。



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