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エフェクチュエーションの5つの原則、その真の意味をお伝えしたいのだ。

始まりの理論「エフェクチュエーション」は、既存システムを永続させることを目指してきたこれまでの理論とは180°異なる。そこで早速、エフェクチュエーションの生みの親、サラス・サラスバシーが述べる5つの原則を見てみようではないか!

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1.手の中の鳥の原則

Not "What you ought to do." but "What I can do and do it".

「”お前”は何をすべきか?」ということなど、どうでもいい。
「””俺””は何ができて何をするのか?」が問題なのだ。

しなければならないことじゃなく、できることをするのだ。高校受験生であろうと、割り算ができなかったら割り算から始めればいい。世間がAIだITだと騒いでいようが、鍬しか使えなかったら鍬を使ってやりたいことを始めればいい。

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2.どれだけ犠牲を払えるか?の原則。

「どれだけ利益を得られるか」
ではない。
「どれだけ自分の金や体力を犠牲にできるか」
が重要。何かを始めるためには。

利益ではなく、犠牲なのだ。

何もないところに利益など算出できるはずもないし、犠牲も払えないような奴が、人に認められることはあり得ない。

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3.クレイジーキルトの原則

集まる人によって事業の行末が変わってくるのであって、
事業の目的によって集めるべき人が変わってくるわけではない。

「ターゲットは誰か?」とか、「この部門にはどんな人が必要か?」ということは、巨大資本が巨額投資が必要な事業をする時に考えるべきものであって、始めたばかりのベンチャーが考えるべきものではない。

偉そうに人を選別して事業を進めるのではない。手元にある生地を全て縫い合わせてクレイジーなキルトを作る。敵であろうが味方であろうが、とにかく関わってみようじゃないか。思いもかけないような縁をつないで、思いもかけないような市場を開拓してゆくのだ。

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(クレイジーキルトです。flickerより商用可能画像)

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4.レモネードの原則

不慮の事故は起業につきもの。だけどミスや事故を避けようとするのではなく、どれだけ利用できるか? がポイントなのだ。 

粗悪なレモンができてしまったらレモネードにして売る。
粘着力が弱いのりができてしまった失敗作を、3Mはポストイットとして売り出した。

いかに失敗を活用できるかが重要。目標に沿っていないからボツ、といというのは愚の骨頂なのだ。

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5.パイロットは飛行機の中にいる、の原則

最新型の飛行機や宇宙船のような外部の条件によって月旅行が成功するわけではない。月旅行を成功させるのはパイロットだという話。初めて月に行ったアポロのコンピューターは、ファミコン以下の性能だったのだ。ぶっちゃけ、それで行けるわけだ。だもんで、テクノロジーとか経済のトレンドなんかもどうでもいいのだ。起業家がどういう意思を持って活動するか。それが成否を分ける。

ネット書店が隆盛を極めていようが、個人書店を始めた高久書店さんのように。


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既存の理論では、まず目的・目標があって、後から効果が測られた。
予算○○円、達成度○○%と。

効果を高めるためには、未来を予測することが大切だった。

だけど、エフェクチュエーションで最も重要なのは、「自分がどんなやつなのか」、を知っていることだ。仲間に、地域社会に、新しい場所で、自分がどんなふうに認められるのか分かっているということ。

自らの「キャラ」を知っていることが大切で、偏差値がいくつかとか年収がいくらかとかは関係がない。

キャラ(効果:エフェクト)がまずあって、そこから縁を通じて思いもかけないような事業を展開させてゆく。

効果があって、事業の目的は後から作り出されるのだ。これまでと全く逆だ。エフェクチュエーションでは、未来は予測するものではなく、作り出すものになる。

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これまでのお勉強って、情報を伝達することを主眼に置いてきたわけだ。この問題の解法はどうこうとか、この英文の意味は、、、とか。

会社なんかでも多くが同じだった。この仕事のやり方が伝わったかとか、マニュアルをしっかりと覚えているか、とか。そいつが重視されてきた。

だけどだ。日本だけじゃなくって、アメリカの士官学校上がりの奴とかでもそうだけど、「知識はあるけど、経験が足りない」って言われちまうことがよくあるわけだ。

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学校で習うような抽象的な思考ってのは、土着性っていうか社会的なコンテクストから離れちまってる。実際そいった抽象的な知識ってのは、もう一回、土着性に塗れないと役に立たない。頭でっかちなコンサルタントってのは、あさってな話しかできないじゃん。そいうことだわ。

そいつは士官学校上がりも専門学校上がりも大卒もMBAホルダーもみんな同じだ。

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ラウンスベリーらが言ってるように、いい起業家ってのはいい物語の語り部でもある。それは彼らが現実をデータとして捉えているんじゃなくって、社会の文脈とか流れに沿って物語のように捉えているからだ。

物語は棲み分けを可能にさせるんだ。ムカつくあいつも物語の中じゃ、いい味の敵役だし、絶対敵わないジジイは元海賊王のクルーだったかもしれない。

そこは偏差値の上下関係じゃなくって、キャラが立ったツワモノたちの世界。

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俺らはこれまで人をデータで見てきたかもしれない。だけどエフェクチュエーションの世界じゃ、キャラで見るんだ。

1.俺は誰だ?
2.人生そのものを犠牲にしてまでやりたいこと、死をかけてせねばならないことは何だ?
3.どんな奴らが集まってくるんだ?
4.そのヤバい事件をどう乗り越えるんだ。
5.物語を盛り上げるのは俺自身だ。

これがエフェクチュエーションの5つの原則の真の意味だ。

・・・と言いたいところだが、この記事は全く甘い。

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ここでちょっどだけ、原因と結果の話をさせて欲しい。言わずと知れたcause(原因) and effect(結果)のことだ。

これまで「科学」と言われるものでは、原因が先にあり、結果が後にあった。当然といえば当然だろう。エフェクチュエーションの生みの親サラス・サラスバシーはそいつをコーゼーション・パラダイム(causation)と呼ぶ。しかし、エフェクチュエーション・パラダイム(effectuation)では究極のところ、結果が先にあり原因が後に来るようになる。だからエフェクチュエーションなのだ。

なんというか言いにくいが、実はサラスバシー自身はそこまで到達していない。これは推測だが、彼女はニーチェの『善悪の彼岸(Beyound good and evil)』から概念を借りてきたからだろう。そこにはサラスバシーの元ネタのような話が大いに展開されている。推測ではある。しかし確信しているのだ。あまりにも論旨が同じだからだ。

そして更に言いにくいのだが、ニーチェ自身も「結果が先に来る」という、この一見突飛な話にまでは世界を深められていない。だから、サラスバシーもそこまでたどり着けなかった。

それではである。

ニーチェもサラスバシーも届かなかったその世界へと皆様をお連れしようではないか!

そいつは上のリンクの記事にある。
とくとご覧くださいませ!

追伸:読み返したら、ニーチェはそれに届いていた。くそっ!さすがはニーチェだ😅

ニーチェの『善悪の彼岸』の要約記事、以下に作らせていただきましたm(_ _)m


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お読みくださいましてありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃

起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

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