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ホントは立派なことなんて誰も聞きたくないし、話したくもないんじゃないか。

冒頭からタイトルに反して極めて立派な話を引用させて頂いてるけれども、ちょっと聞いて欲しいと思う。

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孟子さまはおっしゃった。

「気持ちを尽くしてことに当たる者こそ、自分の性(サガ)を知ることができる。そして性(サガ)を知ることとは、天命を知ることなのだ」

、と。

ぼくらは大人になると、立派なことばかりを口にして、ほんとうの自分の気持ちを見つめられなくなってしまう。そうじゃない。ほんとうの気持ちを見つめて、ぼくらの持ち味を世界にぶつけてみること。そいつが天に使えることだって孟子さまは言ってるんだ。

気持ちってランク付けすることができないじゃないか。だからほんとの気持ちをしっかりと見つめれば、誰かと自分をいちいち比べなくってすむんだ。

「いつでも、どこにいたとしても、目に映る外の世界の誰かとか、そいつが言ったこと、言いそうなことなんかじゃなくて、本来の気持ちに目を向けること。それが比較ではなく身を修め続けるということだ」

「志を立てる者とは、こうであらねばならぬ」

(私訳、一部追加)

【参考】
内野熊一郎(1962)『孟子 新釈漢文大系4』明治書院
小林勝人訳注(1968)『孟子 上下』岩波文庫
金谷治(1966)『孟子』岩波新書

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先日、掛川で開かれた戸田佑也さんのイベントに伺わせてもらった。通常、俺がイベントに参加するとやたらくたらと目立ってしまうので、しっちゃかめっちゃかになってしまう。大迷惑なので、自分が主宰する以外のイベントにはよっぽどでなければお邪魔しないようにしているのである。

しかし今回は、戸田さんだから大丈夫だろうと思って出席させてもらった。

戸田さんはUFJ系のシンクタンク出身で掛川の若手起業家の騎手と言っていい方。エリートなんだけれど飾らない親しみやすい話し方をしてくれるから、俺は一発で彼を好きになった。言っておくが、恋をしたわけじゃない。

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そのイベントには、

「好きなことを仕事にする」

というタイトルが付いていた。誰だって好きなことを仕事にしたい。しかし、そのためにどうすればいいかを分かっている人は、ほとんどいない。

じゃぁどうする??

、、ということに沢山のヒントをくれるイベントだった。登壇者は、高久書店の我が高木店長。三年以内に一部上場を目指すという起業家の甲賀さん。世界を股にかけてカジノで負け続けた・・・凄腕起業家の島津さん、といった面々である。さすがは戸田さんの連れてこられた方達だけあって、恐るべき濃厚キャラしかいなかった。

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「俺たちは立派なことばかりに気を取られてしまって、好きなことに無頓着すぎたんじゃないのか」


イベントではそんなことを考えさせられた。

例えばである。作文にこんなお題が出たとする。

「大切だと思うことを書いてください」

中高生、もしくは俺たち大人は、それに対して何を書こうと思うだろうか。


家族・挨拶・学び・友達・・・お金・会社・学歴・・・子供・地球環境・格差是正・貧困問題・・・


なんというか、立派なことを書かねばならんと思ってしまう、そんな気がする。

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もちろんそれって超絶に重要である。重要であるけれども、立派なことなんて本当は誰も聞きたくないし、話したくもないんじゃないかと思うのだ。

初っ端から孟子を熱く引用したヤツの言葉とは思えないけれども、孟子に至るには段階があるのだと捉えて頂けれは幸いである。

そこで俺の悪友Aの話を聞いてほしい。

Aは中学の時に出会ったBさんのことを40歳で自分が結婚するまでずっと好きだった。

その伝説は尋常ではない。

まず、高校の時に勇気を出して初めて電話をして誘った初デートが、「泊まりでスキーに行きましょう」だった。

好き〜!にもほどがあろう。断られて当然だと思うわけだが、奴はその誘いを断られた時、ガチで半泣きだった。

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俺たちは一人で告白するのが怖いから仲間3〜4人連れ立って、同じ公衆電話でめいめい好きな女子に告白をしたのだった。

これは高校に入ったばかりで彼女が欲しくてたまらなかった時代のことである。どうか許してほしい。

Aの告白の最中、電話ボックスの隣で聞き耳を立てていた俺たちだったが、「スキーに行きましょう」のくだりが出た瞬間に、ニヤケ顔を一変させ顔面をひきつらせる。軽く血の気が引いた俺らは、アゴで相槌を打ち「あいつは大丈夫か?」と会議を開いた。

この時、俺だけは告白に成功した。

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また、携帯メールが出始めた時のことである。Aは恐るべきことに、○○○docomo.jpとか、○○○au.jpとかの○○○に、Bさんが使用しそうな考えられる全ての組み合わせを組んでメールを打った。

好きだったのである。どうか引かないでほしい。

恐るべきことにAのメールはBさんに届いていた。後日、Bさんに聞いたのだ。そしてこれほどの根性を見せられると、もう感動すら覚えたのだという。しかし別段、二人の関係に変化はなかったし、そもそもAは返信をもらえなかったのである。

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さらに中学の時にAは、「Bさんの家の前まで行こう」としばし俺たちを誘ったものだった。洗濯物を見たいがためである。しかしBさんはもう心得ていて、パンツを外に干すことは無かった。

これは俺としても無念だった。
しかし、Aは、こう言った。

「なあ、Bさんってパンツ履いてないのかなあ?」

そして俺たちは会議を開いた。

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僭越だが、ここで諸兄姉には冒頭の孟子を思い起こされたい。

「気持ちを尽くす者こそ、自分の性(サガ)を知ることができる。そして性(サガ)を知ることは、天命を知ることなのだ」

とあったではないか。

Aは自らのサガをよく知ることとなった。奴は今、可愛らしい奥さんをもらって、地元で1番の会社で好きな仕事に没頭している。

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俺は思う。

自分になることとは、誰かに心を捧げることだ、と。

立派な一般論を語ったところで自分にはなれない。それより激烈に馬鹿だろうが恥ずかしかろうが、好きな人に裸でぶち当たっていったAの方が、人間としての深淵に到達していたのではないか。

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やっぱり違うかもしれない。


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起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

下のリンクの新刊出させていただきました。
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