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最後の仕事

部長としての仕事を今振り返ってみるとそんなに多くはなくて、代表して挨拶したり、ミーティングで一言話したり、それくらいだった。

あとは、体操ストレッチを行うときに最初に
「いっちにーさんしっ」と声を出すくらいだった。

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マイル(4×400メートルリレー)準決勝が終わり、俺たち榴ヶ岡の敗退が決まった。

決勝に残れるのは8校のみであり、多くの学校がここで敗退となっていた。

だが嬉しいことに、決勝に残った学校の中に俺たちと同じ地区(仙塩地区)の高校があった。それは「仙台東高校」だった。

仙台東はギリギリで決勝進出が決まったのだが、その瞬間、仙塩地区の高校のメンバーがみんな喜んでいたのが印象的だった。こういった一体感は、陸上ならではのものだなと思った。

仙台東の奴らに「明日(決勝)頼んだぞ!」と声をかけ、俺たち4人は陸上トラックを後にした。

ダウンをしに競技場に着くと、そこには先輩達の姿があった。

俺は先輩達を見た瞬間に涙腺が崩壊してしまった。

心のどこかで先輩達の分も戦っていたからかもしれない。

先輩達から「お疲れ様!」と声をかけてもらった。気付けば他の3人も泣いていた。

先輩達と別れてからも、なぜか涙が止まらなかった。

別に特別このレースが悔しかったわけでもないし、引退がめちゃくちゃ悲しかったわけでもない。それなのに涙が滝のように出てきた。

こんな経験は初めてだったし、おそらく一生分の涙の何割かをこの日に流したと思う。それくらい、高校時代は陸上に懸けていたし、努力を続けてきた。

そのため引退が決まったにもかかわらず、どういうわけか「達成感」みたいなものもあった。

みんな涙が止まったわけではなかったが、レース後なのでしっかりダウンまでやろうということで、4人で走り出した。

みんないろいろな感情が入り混じっていることもあり、特に会話はなかった。

俺たちの感情を物語るように、空からはポツポツと雨が降ってきた。

雨が強くなるおそれもあったので、ストレッチは各自でするという流れでも自然だったが俺はあえて最後まで4人でやろうと思った。

ストレッチを開始しようと思ったときに、こんなことを思った。

(おそらくこの声出しが、部長として最後の仕事になるなぁ...)

雨も降り始めていて、みんな泣いている状況だったがそれに逆らうように俺は元気よく声を出した。

「いっちにーさんしっ」

すると、いつものようにみんなが

「ごーろくしちはち」

と続けてくれた。

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