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ある曇り空の思い出

今日のようなどんよりした曇り空を見ると、中学生の時に見た一枚の絵を思い出さずにはいられない。

私は毎朝、近所の友達と一緒に自転車で通学していた。名前をKちゃんといい、同い年だった。
一緒に通うようになったきっかけは覚えていない。一番家の近い女の子だったからかも知れない。
彼女は全てにおいて、とても動作の遅い子だった。学校へは私の家の方が近かったのだが、準備の遅い彼女を急かすため、いつも私が学校とは反対方向にある彼女の家まで迎えに行っていた。
お母さんはのんびりした娘の尻を叩いて、一生懸命早く準備させようとするのだが、娘の方は我関せずで、いつもいたってゆったりしていた。
早くに家を出たのに、彼女の家の前でずっと待っていたため遅刻しそうになった事も一度や二度ではなかった。

勉強もあまりできず、体育も得意ではない。喘息持ちで、一緒に遊んでいてもすぐに息切れしてしまう。
やせっぽちで、オマケに体臭がとてもキツイ。
顔は可もなく不可もなく。背は私とどっこいどっこい。色は黒い。
そんな目立たない子だった。

当時ウチの母は、いつも学校とは逆方向に迎えに来させるKちゃんのトロさを
「躾がなってない」
と言って怒っていた。と言ってもKちゃんのお母さんに文句を言う事など皆無で、顔を合わせればそんなことまるでなかったかのように、お母さん同士で楽しげにおしゃべりしていたから、母の怒りの引き受け手は専ら私だった。
「教養の低い人は躾をすることができないのだ」
というニュアンスの言葉を、Kちゃん一家に関して親から嫌ほど浴びせられた私は、今となっては恥ずかしいことだが、いつも仲良くしてもらっていながら、いつしかKちゃんを見下すような感覚を持つようになっていた。

一年生の時、Kちゃんと私は同じクラスだった。
ある時美術の授業で『空を写生する』という課題が出た。空なんて、雲が浮かんでいなければ立体的な物は何にもないし、虹でも出ていれば色味もあるが、晴れれば青一色、太陽なんて橙色か赤か、適当に描くしかない。元々美術の嫌いな私は、退屈な課題が出たなあ、とつまらない気分でクラスメートと一緒に校庭に出た。
Kちゃんはサッカーゴールの近くの縁石のようなところに座って、じっと空を見上げていた。その日は曇り空だったから、生憎空は全部どんよりとした雲で覆われ、太陽もなく虹もない。私は灰色一色かあ、つまらんなあ、と何人かと喋りながら、ウダウダと絵の具をパレットに出したりしていた。

Kちゃんはニコニコと私達の話を聞きながら、手は休めずずっと鉛筆で写生していた。私達が絵の具を使い始めても、Kちゃんは熱心に鉛筆で下絵を描いていた。曇り空なんて描くもんないのに、Kちゃんまたぐずぐずしてんなあ、と私は内心バカにして、チャイムが鳴ってもまだ腰を上げようとしないKちゃんを置き去りにして他の友達と教室に戻った。
戻る途中でKちゃんを振り返って見ると、みんなが帰っていくのも全く気にせず、一心不乱にまだ描いていた。何故かイライラするような、嫉妬するような気持ちが込み上げてきた。

随分経った頃、担任の先生が
「県の中学生絵画コンテストで、○○さんが金賞を取りました」
と言ってKちゃんの名前を言ったので、私はとてもびっくりしてしまった。あの空の絵だった。
Kちゃんは先生から賞状をもらって、とても嬉しそうにみんなの前でガッツポーズをした。みんなと一緒に私も拍手したが、不可解な気持ちでいっぱいだった。Kちゃんが何かで賞を取るなんて、それまで全くなかったからである。
その絵は暫くしてコンテストから戻ってきて、美術準備室の前に貼りだされた。私はそれを見て唸ってしまった。

私が退屈な灰色一色だと思った空は雲の凹凸が巧みに描かれ、今にも雨が降りだしそうな様子はまるで写真を見るようだった。
灰色だけでなく、白、黒、茶、紫などの地味な色が細やかに丁寧に随所に使われて、雲の形を立体的に見せている。雲に動きも感じられた。
『丁寧によく描けています。描写が秀逸』
という審査員の講評が眩しかった。
Kちゃんにはこう見えていた曇り空を、自分は全く描き表すことが出来なかった。私はなんてダメな人間なんだろう。そしていつもトロくて、勉強も出来ないKちゃんにこんな凄い才能があったなんて。
その頃の私は『勝ち負け』に百二十パーセントの比重を置いた貧しい価値観の持ち主だったから、ただただ悔しく、妬ましかっただけだった。

今でも画才のある人に私がどことなく引け目を感ずるのは、この時のことがきっかけになっているように思う。
勿論今は素直に、才ある人に心から拍手を送れる人間であると思っているが、今日のような曇り空を見ると、子供だったとは言え愚かで狭量だった自分を恥じる気持ちと、自由にのんびりやっていたKちゃんを羨ましく思う気持ちが、懐かしさを伴って私の胸に込み上げるのである。