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ねむれ良い子よ

先日、赤ちゃんを抱っこした若いお母さんがレジに来られた。お母さんが財布を取り出している間に赤ちゃんを見ると、指を吸いながらウトウトしかけていた。
お母さんは汗だくで気の毒だが、可愛いなあと思わず微笑んでしまった。

うちの子供は指吸いはしなかったが、あれをやると安心してよく眠ると言うのを聞いた事がある。
歯並びが悪くなるとか、いつまでもやめないと恥ずかしいとか言うようだが、よく寝るならそれで良いような気がする。
歯並びの事は良くわからないが、指吸いをしている大人はいないから、気にする事もなかろう。

ウチの子供の入眠儀式は「絵本を読んだあと、オデコにチュッ」であった。
眠るまで手を離してくれない我が子になんとか『ハイ、じゃあおやすみね』と言うきっかけが欲しくて、絵本を読み聞かせる事を思いついたのだった。
初めの内は買っていたが置き場がなくなり、図書館で借りる事にした。バリエーションが増えて、読む方も聞く方も楽しくなった。
しんどくてほぼ棒読みみたいになった日もあったし、私が吹奏楽団の練習に行く日はお休みになったが、ほぼ毎日続けていた。
別に教育の為と言う意識はなかった。意識していたら続かなかったと思う。
子供が一人で眠れるようになった小学校3年生まで、請われるままに続けていた。
もういいよ、自分で読むから、と言われた時はホッとすると同時に何か寂しかった。

絵本の影響がどのくらいあったのか定かではないが、子供は小さい頃から本好きである。
クラブだ、受験だ、塾だ、と側で見ていても大丈夫かと思うくらい忙しそうな時でも、子供の机にはいつも必ず何か読みかけの本があった。
得意科目はずっと現代文であった。
塾の先生には『文系の柔らか頭ですね』と言われた。
結果だけ見れば、絵本のおかげかもしれない。

だが長じた子供に絵本の内容を聞いても、殆ど覚えていない。
食べ物に関する記憶だけは鮮明なようで、『しろくまちゃんのホットケーキ』やら、『パン屋のくまさん』やらはよく覚えている、と言っていた。
今思えば、あまり教育的配慮のなされた本よりも、『読んで楽しいワクワクする』物を子供は好んだように思う。

本のチョイスは子供に任せていた。
年齢より明らかに幼い子供向けの物や、ちょっとまだ早いのでは、と思われる物を持ってくる事もあったが、構わず読んだ。
その時の心の状態に合わせた本を、直感的に選んでいたのではないか、と今になって思う。

読み聞かせた中で私が一番印象に残っているのは、図書館で借りた『メアリー・スミス』と言う絵本である。
メアリー・スミスはパン屋や新聞屋等、早起きの仕事の人を起こしてまわるのが仕事の女性である。夜明け前に家を出て、ゴムのチューブに豆をこめて吹いて飛ばして、依頼者が起きるまで窓ガラスに当てるのだ。その様子がコミカルに淡々と描かれている。
こんな職業が本当にあったなんて、珍しくて面白くて、子供より夢中になって読んでしまった。
あとがきには実際の写真も掲載されていて、興味深かった。
絵本はいくつになっても面白い。

それにしても、今ぐらい精神的にも体力的にも余裕があったなら、あの時もっと楽しく読んでやれたのにな、と残念にも思う。
あんなにあくせく、これしなきゃあれしなきゃ、と思わなくても良かったなあ。洗濯物なんて、クチャクチャでも死にはしないのに。ご飯の後片付けなんて、放っておいても警察に捕まるわけじゃないのに。家事に絶対自分一人で全部しなきゃいけない事なんて有りはしなかったのに。
夫をもっと頼っても良かったよなあ。
もっとゆっくり一緒の時間を愉しめば良かったなあ。
もっといっぱいチュッとすれば良かったなあ。
眠るまで手を握らせてやっても良かったよなあ。

この後悔も、子育てのくれたプレゼントなのだろうか。
懐かしいけど、なんだか切なくほろ苦い。

赤ちゃんを抱いたお客様をお見送りしながら、ちょっと羨ましくなっている自分がいる。