私の中の未消化部分
私を息子の嫁に迎えることが決まった時、姑は
「ウチに四大卒のお嫁さんが来てくれるなんて」
と大喜びした、というのを姑の姉から聞いたことがある。当時はなんて大袈裟で時代遅れな、と妙にくすぐったい気持ちになったものだった。
姑は商業高校卒だし、舅は工業高校卒であるが、私はそこに何の偏見も持っていない。時代を考えると今と違って、よくあることだと思っている。
夫とは見合い結婚だったから、舅と姑の学歴が不満ならウチの両親もこの話を断っていただろうから、ウチの親にとってもそんな事は全く問題ではなかったのだと思う。
夫の家でも私の学歴を殊更に喜んだのは姑のみだったようだ。現に舅も私に気後れしたような感じで接してくることはなかった。聞いてみたことはないが、夫もそこには特にこだわっていなかったと思う。
私は第一希望の受験に失敗し、滑り止めで受けていた大学に通った。大学生活は楽しかったが、入学することになった経緯については不本意だったから、正直言うと未だに『○○大卒』という時には少々後ろ暗い気持ちになる。大学を卒業してからもう三十年以上になるというのに、このざまである。
きっと私は『この大学に行った自分』が好きではない、或いは許せていないのだろう。私の中の未消化の部分である。この大学で学生としての様々な経験をしっかり積んだ、と胸を張れないのが原因だろう。自業自得というものだ。
ただ今日に至るまで、この道を進んできたことで得た沢山の出会いが、私の今の人生を豊かにしてくれたとは思うし、感謝もしている。結局私は幸せなのだから。
私自身が出身大学に引け目を感じているにも拘わらず、姑が大仰に喜んだものだから、私は非常に違和感を感じ、居心地が悪かった。
居心地悪く感じた理由はもう一つある。夫の姉の存在だ。
姉は大学受験に失敗し、専門学校を選んで進学している。この姉の学歴について、姑があからさまに恥じ入る様子を見せるのが困る。
親子なのになんて惨いと思うのだが、姑はこういうあたり非常に無神経である。いくら娘でもそれは言い過ぎじゃ、というくらい『あの子は大学よう行ってないからねえ』と繰り返す姑と、その姑を睨みつける姉の間に挟まれるとなんとも言えず肩身が狭い。
私としては第一志望に合格出来なかった姉の悔しさはよくわかる。その後の選択肢が私の場合はたまたま四年制大学で、姉は専門学校だったというだけの違いである。
しかし自分の母親にこれだけ繰り返し『アンタと違ってミツルさんは大学出てはる』と言われれば、気分は良くないに決まっている。
かくして未だに姉は姑と折り合いが非常に良くない。
高校生の時、大学受験について喧しく意見する母に向かって、
「もう大学なんか行かへん。就職する!」
と叫んで平手打ちされた記憶がある。
今なら就職の方が余程厳しい道だったと分かるが、当時は了見が狭かったから、大学受験よりしんどいものはないように思い込んでいたのである。
何のために大学に行くのか、全く分からなかった。やりたいことのある学科は就職に不利だから受験するな、と言われた。なのに大学には行けと言う両親に、私の不信はつのるばかりだった。
父には
「大学を出さねば、ロクなもんのところに嫁に行けないから」
とも言われ、ぞっとした。
その後、初めて両親に紹介した彼はその『ロクなもんではない』人だったから、結婚の話はすったもんだの末になくなった。
その時も
「お前を何のために大学までやってやったか、わからんのか!」
と一喝された。
知ったこっちゃない、あんたの意向でしょうが、とは思ったが、とことんまで抗いきれない自分も居た。心のどこかで学歴の低い当時の彼を、『ロクなもんではない』と認定している私が居たのである。
学歴なんて今の時代にはナンセンスでしかない。息子がどんな相手を連れてくるか知らないが、私もそこはどうでも良いことだと思っている。
それでも例えば東大卒、と聞けばおおっと声が出るだろう。『人は学歴で判断なんてできない』と口では言いながら、私の中には両親から植え付けられた旧い価値観と差別意識が、しっかりと根付いているのだ。
これから先、そんな自分をそっと受け容れていくことで、本当に学歴なんてどうでも良い、と思えるようになるのだと思う。この点において、私はまだ発展途上段階であると認めざるを得ない。
姑の意識は生涯変わることはないだろうが、姑の生きてきた時代にはそれで良かったのだろう。だが随分残念なことだなあ、と思いつつ、今日も歯の浮くような姑の賛辞に、苦笑する私である。