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進学の楽園

進学校に通っている。
これは自慢でも何でもなく、寧ろ「嘆き」に近い。昨年、僕の通うその高等学校から複数人、日本の最高学府とされる「東京大学」の合格者が出た、と言う、どう見たってめでたい報せが舞い込んで来た。その瞬間に、彼等の功績と、自らの体たらくとを比較してしまったのがいけなかった。
あ、同じ人間で、同じ地域で、同じ学校に在籍していて、こんなに差ってつくんだ。僕の生き様って何かしらが足りてないんだ。
いや足りていないのは己が努力であることは目に見えてそれこそ鮮やかであったが、それよりも何か、彼等と僕の間に、パラダイム級の根本原理に於ける差異があるのではないのかと、そう言ったことを疑わざるを得なかった。

で、やっぱりそれはあった。
それは、僕自身の、「進学校」と言う名前に関する、孤独な齟齬だった。
「進学校」これは、「進学」の為の「学校」である。即ち、専ら、大学進学を目指して机に向かってガリガリガリガリする為の学校なのだ。
僕は、とりわけ高等学校入学一年前から入学後のおおよそ二年間に於ける僕は、「進学校」これを「進」な「学校」だと解釈していた。詰まり、「なんか進んだ教育を受けることができる学校」なのだと。義務教育を終えて初めて行く場所。青年期の中心で体験する場所。新しい場所。自由な場所。期待を胸に入学しても許される場所。


違った。

全然違った。

寧ろ、覚悟を胸に入学しなきゃいけない場所だった。



入学後は、イメージとの乖離が凄まじかった。
進んだ教育が無さすぎる。みんな単語帳読んでる。みんなルーズリーフに難しい計算式書いてる。みんな友人同士でクイズ出し合ってる。
何かがおかしい。

進んだ教育は、何処だ。

授業中に大したことを喋る教員が、二人くらいしかいない。あとは手放しで問題を解かせる謎の時間と、僕の努力不足が浮き彫りになる様な、愚者を晒し上げる様な地獄コミュニティと、突如訪れる定期テスト。

進んだ教育を、返せ。

おや。
そもそも、

「進んだ教育」

そんなものは、初めから存在しないのではないか。
二年生の半ば。
母に聞いてみた。
「進学校って、進んだ教育が受けれる学校だよね」
母の次の返答は、僕の無知を報せるとともに、僕の心に最悪な稲妻を寄越した。



「違うよ」




は?





え、これ俺が悪い?


俺が悪い。
いや、知ってる。全然下調べしなかった俺が悪い。
知ってる。

でも、もう少しみんな、早い段階で教えてくれたって良くないかな。
僕は疑念の中、二年間を無駄にしていた。
死んでくれ。

全部死んでくれ。
もう、教育を受けたくない。
でも流石に高卒認定はないと、現代の実在論的日本社会で生きていくことは困難そうだったので、卒業迄は在籍を続けることとした。あわよくば、その間、「進んだ教育」を少しでも受けることが出来れば良いのだと。

そんな僕の展望とは裏腹に、この高等学校の「教育」は、前時代的なその輪郭を隠すことなく見せびらかすようになった。演習。ずっと演習。「共通テストナントカ演習」を只管に解く。演習。ちょっと教員が解説。でも場合によっては、解答・解説書を用いて、自分で理解。土曜日は、たまに模擬試験。振替休日は無い。最悪の場合、教員が一言も喋らない「授業」もある。時には、金で買った方が良さそうな「共通テストナントカ演習」に掲載された問題を、白黒コピーして生徒に渡し、解かせる。これ法的に大丈夫なのかな。そして、突如訪れる定期テスト。終わったと思ったら、また模擬試験。そして振替休日は無い。月曜日はまた演習。
それからも、演習。
演習。
演習。
演習。演習。演習。
演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。演習。


あ、ほぼ塾だ。
これ、もう学校の体を為していない。
教員も教員で、労基法の外でやっている奴がいる。
あ、ほぼ地獄だ。
塾はだって、出ても出なくても何も無いもん。
高等学校はだって、出なかったら「中卒」だもん。被差別民だもん。これが、この地獄が、教育。
これが、進学。


これが、「進学校」。


死にてえ。


勉強が好きな人は、幸せなのだろうか。
進学が大好きな人は、此処を楽園だと思うのだろうか。
東京大学に合格した彼等は、どの様な感情を以て此処に入学し、どの様な感情を以て三年間を終えたのか。

同じ人間として、「やっと終わる」と、そう、惨めな幸福と共に卒業証書を受け取っていれば良いのに、と、最悪なことを思ってしまうのは、道徳教育の不足では無いでしょうか、先生方。

あわよくばnote一本で食っていきたい〜とか考えてるので是非よろしくお願いします。