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ごめんね

先日、とうとう姑を怒鳴りつけてしまった。
姑は基本的にネガティブな人である。しかし自分ではそれを認めていない。
何の話をしていても全てが悪い方に悪い方に持って行かれるので、ちょっと離れて姑に接することの出来る人でないと、自分のメンタルを崩壊させてしまう危険性がある。
例えば
「暖かくなってきましたね」
と言おうものなら、
「でも朝晩は冷えるやろ。身体が辛い」
と言い、
「今日はお風呂に入れたんですね。気持ち良かったでしょう」
と言えば、
「そやけどヘルパーさんが後の掃除をちゃんとしてくれへん」
と文句を言う。
感謝のかけらもない駄々っ子のような大人を、まともに相手していてはやっていられない。『こうあるべき』という返事を期待していたら憤死してしまう。
だから私は『聞くマシン』に徹していたのだった。

実際には会うことが出来なくても、その日あったことを知り、声色から機嫌や体調を知るのはある程度可能だ。
老健から二度目の帰還をした姑ではあるが、どうも最近ネガティブの度合いが過ぎる気がして、私は気になっていた。このネガティブは気質によるところも大いにあるだろうが、ちょっと今までのとは性質が違うように思える。
人一倍不安を感じやすい人ではあるが、それにしてもいつも落ち着きがなさ過ぎる。
夫に伝えると、『月末に様子を見がてら一泊してくるわ』と言ってくれた。
それで安心していたのだったが。

姉から仕事中に電話が入っていた。私は職場に携帯を持ち込めない為、出ることが出来ず、LINEを見て事の次第を知った。
姑が早朝からパニックを起こし、姉に電話攻撃を仕掛けたらしい。
姑のパニックは今に始まった事ではない。もっと若い時から定期的に起こしていたらしいが、歳を重ねるごとに酷くなっていっている、と夫は言う。
孤独と迫りくる死への恐怖が姑を駆り立てるのだろう。可哀想だが、内心の問題はどうしてあげることも出来ない。
こういう時は何を言っても無駄だ。聞き入れてもらえない。壊れたラジオのように姑の口から出る不満と苦痛を聞きながら、時間の経過を待つしかないのだ。

訪問看護の看護師さんに連絡して行ってもらい、処方してもらっている精神安定剤を飲むように言ってもらった、飲んだら落ち着いて少し眠れたようだ、仕事が終わったら連絡してやって、という内容だった。
ネガティブ過ぎると思っていたが、やはりパニックの前兆だったようだ。
身体の病気と違って明確な兆候が分かりづらいから、対応が難しい。
しょうがないので、帰宅後すぐ電話を架けた。

姑は割合すんなりと電話に出た。
「お母さん、眠れました?大丈夫?」
と訊くと、弱々しい声で
「はいはい、大丈夫です」
と答える。
姑は姉の夫と私に対しては丁寧語を使う。結婚当初は身内なのに神棚に祀られているような気分になって戸惑ったが、もう慣れてしまった。最近は少しずつ崩れて来てはいるが、自ら距離を保とうとするのは相変わらずだ。

姑は不安と不満をマーライオンのように延々と吐き出し続けた。いつものことだからハイハイと聞いていると、姑が
「私なんか死んでも誰も関心ないんや。知らん間に死んでても、誰も気づかへんのや。どうでも良いんや」
と弱々しい声でポツリと言った。
この言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れた。
「お母さん!なに言うてるんですか!!お姉さんも、○○さん(ウチの夫)も、みんな気にしてますよ!交番のおまわりさんも電話くれるんでしょう?近所の方も来てくれるんでしょう?ケアマネさんも来てくれるんでしょう?こんな恵まれた状況で、よくそんなこと言えますね!いい加減にして下さい!みんなお母さんのこと、一生懸命気にしてますよ!死んでもいいと思ってたら、これだけ関わりますか!?」
最後は自分でも驚くくらい大きな声で叫んでいた。

姑は私からの初めての叱責に驚いたのか、電話口で泣き出した。
その声で私は冷静さを取り戻した。
「お母さん、怒鳴ってごめんなさい。でもみんな気にして心配してるってこと、分かって下さい」
努めて静かに言うと姑は泣きながら、
「はい、わかりました」
と言った。
電話を切るとどっと疲れた。

姑の不安は傲慢でもある。
そんな事はよく分かっていたはずなのに、やはり改めて自分の前にさらけ出されると悲しい。そして頑なに自らの外の優しい世界を見ようとしない、関わろうとしない姑を思うと、無力さが募る。
この頻度でパニックを起こすなら、もう多分一人暮らしは限界だ。

出張から遅くに帰宅した夫にその日あった諸々を話し、
「私、お母さんに怒鳴ってもうた・・・」
と言うと、
夫がええよ、しゃあない、と言って
「すまんかったな。いつもありがとうな」
と言いながら私の頭をポンポンと叩いてくれた。
ちょっと涙腺が怪しくなった。

人を傷つける行為はそれ以上に自分を傷つける。でも思わずやってしまうこともある。
ああ、まだまだだなあ。
お母さん、ごめんね。