見出し画像

『おかえりなさい』は笑顔で

つい最近、夫とやや大きめの喧嘩をした。普段はそうでもないのだが、夫はそういう血筋なのか、喧嘩すると相手を黙らせるまで言いつのる癖がある。理屈に合ってなかろうが、事実と違っていようが関係ない。兎に角グイグイ押してくるので、しまいにこちらが根負けしてしまう。
私はと言えば喧しく言い返すのではなく、『今に見てろよテメエ』と心で静かに切先を研ぐタイプなので、やりこめられそうになるとムッツリと黙り込む。こちらが言葉を返さなければ、夫も言葉を投げつけて来ない。自分ばかり発言するのは疲れるのだろう、結局早めに沙汰止みとなる。

喧嘩の原因は、ここ最近ずっと燻っている『老後問題』である。家をどうするか。食べていけるのか。親をどうするかなどなど、どれも疎かにはできない大事な問題である。
だが私は異常なくらいのんびり屋なところがあり、この問題については、ざっくりとなんとかなるだろうと思っている。細かい計算はしていないし、そもそも親も家も、今細かく計算してみたところで、絶対に番狂わせな事態が生じるに決まってると思っている。なので、まあこんな家に住みたいな、とか、資産はざっとこんなもんやろうからこんな感じでええやろう、と呆れるくらいドンブリ勘定な女、なのである。
しかし夫はこの問題については大変慎重で、なんとかなる訳がない、と心配している。夫の意見の方が極めて常識的で当たり前なのだが、私にはしっくりこない。それが夫にはもどかしく、腹立たしい。普段の私の几帳面さを知っているので、この問題に対する私の姿勢が理解できず、じれったい。
二人の意見は正反対なので、折り合うところがない。

先日の喧嘩の際、夫は友人知人の妻や自分の家族と私を比較して、何をやってるんだお前は、全くダメな奴だ、と言わんばかりの言葉を、黙り込む私に次々と浴びせた。的を射た意見ではあったが、その口調のあまりの激しさと、身近な人々と比べられてダメ出しをされたことに、久しぶりに激しく落ち込んでしまった。
夫と口をきくことはおろか、顔を見るのも嫌になってしまい、就寝前の時間でもあったので早々に自分の部屋に引き取った。

夫に対する悔しさとか、恨む気持ちは不思議なくらいなかった。ただ物凄く悲しくてたまらなかった。でも自分を卑下する考えは全く思い浮かばなかったから、私も進歩したかな、と思った。
この悲しさの原因は、『言葉のやり取りがなされず、自分の意見に耳を傾けてもらえなかったこと』に起因している。つまり、夫に『対等の存在』として見てもらえなかったことを、私は悲しんでいたのである。
それは夫に対して『この人は私を対等に扱ってくれる』と勝手に考えて、そういう配慮のある言葉がけをしてくれるもの、と期待していたからに他ならない。
でもその時はこんな風に冷静に分析などできず、ただただ悲しみに沈んでしまった。

翌朝も夫の顔を見るのが辛く、朝の挨拶もゴニョゴニョとはっきりはせず、なんとなくお互いに気まずい雰囲気のまま、夫を玄関まで送りだした。
東日本大震災の後から、私は家族を必ず玄関まで送って『いってらっしゃい』を言うことにしているのだが、この日は気持ちが沈んだまま、元気なく笑顔もなくいってらっしゃい、と呟くように言って送り出した。
夫もいつもなら『おう、行ってきます』と返してくれるのだが、この日は『お』と言っただけで、私を盗み見るようにして出かけてしまった。

仕事中も家に帰ってからも、ずっと昨日のやり取りを思いかえしては、悲しい気持ちになっていた。でも外が段々暗くなり、夕飯の支度をするうち、ふと夫はこんな陰気な顔で『おかえり』と言われても嬉しくないだろう、と思った。
元々、思っていることより言葉が過ぎる傾向にある人であることは分かっている。私よりもずっと、二人の老後について真剣に考えてくれているからこその、言葉なのだろう。言い方は感心しないが、私を貶めようという意図はない筈だ。私ものんびりし過ぎていたのだと思う。
そう思ったら、やっぱりちゃんと笑顔で夫を迎えよう、という気になり、夕餉の支度をしながら心は静かに少しずつ整って行った。

遅くまで残業をして帰ってきた夫を玄関で出迎えて、
「おかえり!お疲れ様!」
と元気よく声をかけた。
夫はびっくりしたように私を見ていたが、バツが悪そうに頭を掻いて、
「ごめんな」
と小さな声で言って、抱きしめてくれた。
ふんわりした気分になった。

やっぱり『いってらっしゃい』『おかえりなさい』は笑顔で言わないと。