靴を磨く
昔から靴を磨くのが好きである。
何でと言われても困る。これと言った理由を思いつかない。好きだから好きなのだ。
若い頃は、通勤に履くパンプスを休みの度に磨いていた。こういうことの大嫌いな妹が、同じように通勤に履いたパンプスを汚れたまま放置しているのを見つけると、ついでに勝手に磨いては有難がられていた。
可愛い妹の為、とか汚れたパンプスを見ていられない、とかいうのではなく、単に好きだから磨いていた、それだけである。
特にこれといって磨き上げる技術をマスターしたとか、こだわりがあるとかいう訳ではない。ただ綺麗になっていく過程が楽しいのだ。
ブラシで縫い目や継ぎ目に溜まった埃を丁寧に落とす。柔らかいぼろ布(私は夫の穴の開いた靴下を愛用している)に、ほんの少量の汚れ落としクリームをつけて薄く伸ばす。踵から丁寧に汚れを落としながら、爪先にかけて少しずつ磨いていく。
磨き終わったら、柔らかい素材の艶出し布(コーデュロイ?)を使って仕上げていく。ピカッと光を反射するようになった爪先を眺めると、とても満ち足りた気分になる。
爪先を揃えて棚に戻すと、得も言われぬ幸福感が急速に、私の胸に広がってゆくのがわかる。
今では毎日ずっとスニーカー生活なので、磨くと言えば夫の靴のみ、である。
夫は最近まで、磨くのが嫌になるような酷いボロボロの靴を履いていた。雨の度に水が入り込むのに降参して、最近やっと新調してくれた。
新しい靴は光沢が出やすく、磨きがいがある。夫の為ではなく、百パーセント自分の楽しみの為に磨いている。
靴が綺麗かどうかなんて全く気にしていないだろうが、夫だって『よく磨かれている』と気付けば嬉しい?かも知れない、と思っておくことにしている。
私の職場は靴売り場だから、当然靴が溢れている。
磨き放題なので、実はとても嬉しい。お客様の来ない時間を見つけては、ひとりセコセコと磨いている。大雨の日なんかは、さあ今日はいっぱい磨けるぞ、とウキウキする。
革製の靴は少ないが、高級な紳士靴や婦人パンプス、ハルタのローファーなどがある。ここらはクリームを使って磨く。
しかしここはスーパーだから、殆どの商品は安価な合成皮革である。これらはクリームを使用すると靴が傷む、とい聞いたことがあるので使用せず、柔らかい布で拭くだけにとどめている。あんまりゴシゴシしないで、そっと拭くのがコツだ。
最後の仕上げに艶出し布で拭くのは、革製も合皮も同じだ。作業を終えると、どちらも『どうです』と言わんばかりにピカリと美しく光る。
思わずニヤニヤしてしまいそうになるのを、抑えるのに苦労する。
あんまり私がしげしげと磨くので、靴担当のIさんやDさんが恐縮して、
「いつもごめんね。ありがとう」
と頭を下げて下さったり、
「そんなに綺麗にしなくても、大体で良いよ~」
などと声をかけて下さるのであるが、『私が』磨きたくて磨いているので、その度になんだか申し訳ないような気分になって、あ、はあ、といつも曖昧に言葉を濁してしまう。
実は靴を磨くのが大好きなんです、なんてちょっと恥ずかしい。言っても良いとは思うのだが、今のところまだお二人には言えていない。
『電車の中で男性の靴を見ると、独身か既婚かが分かる』なんて母が昔、言っていたことがある。それとなく通勤電車で気を付けて見ていたが、母の言うことは半分は当たっているような、そうではない人も居そうな、感じだった。
母の言葉は、まだ奥さんは家にいて家事をし、夫を会社に送り出す、というのが当たり前だった、かなり昔の話だ。
男性でも自分の靴は自分で毎日磨くという人も知っているし、巷には『靴磨きのラウンジ』なんかで一足一万円とかいうお金をかけて磨いてもらう、という人もあるそうだから、綺麗な靴でも独身者もいれば、汚い靴でも既婚者もいるんだろう。
時代は変わるものだ。
靴を磨いていると何もかも忘れて、無心になれるのが良いのかも知れない。
汚れを落とし、美しく光らせる作業をやっていると、何故かとても清々しい気分になる。
自己陶酔の極致と言おうか。
靴を磨くひとときは、私にとって小さな幸せを運んでくれる大切な時間、なのである。