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生真面目なお客様

年末は財布を買い替えようとする人が増える。新しい財布で運気を呼び込もう、ということだろうか。
私の勤め先のスーパーでも十二月は財布売り場の面積を拡充している。クリスマスが近いこともあり、プレゼントの需要も多い。

お値段はピンからキリまでと言った感じで、安いものだと税込みでやっと千円を超える程度である。使い勝手はどうだかわからないが、この一番安い財布が大変よく売れる。どさくさに紛れて、財布と一緒に同じ値段のパスケースも並べてある。こちらも結構売れる。
この辺りではバスの高齢者無料パスが紙からカードに変わったとかで、十月ごろからパスケースが良く売れて一時は品薄になったくらいだった。今でもちょくちょく買いに来られるので、まだ需要はあるようだ。

先日レジに入っていると、このパスケースを持って一人の男性がやってきた。七十代くらいだろうか。ハンチング帽を被って、ちょっとお洒落な雰囲気である。
「あの、これ、頂きたいんですけれども…このレジでよろしいでしょうか」
おずおずとレジ台に商品を置いた。なんて奥ゆかしい人なんだろう。日頃、真逆の様子のお客様を多く見かけている私はなんだかカンが狂ったが、
「はい、こちらで承ります。ありがとうございます」
と言ってお預かりした。
「ご希望でしたらこの紙袋にお入れできますが、如何なさいますか?」
手提げのない小さな紙袋は無料である。財布やアクセサリーが食品売り場で買ったものとごっちゃになるのを嫌がる方は多いので、いつも一声かけている。
すると男性は、
「えっ、袋にまで入れて頂けるんですか?いやあそんな…申し訳ないなあ…どうしようかなあ…」
と本気で恐れ入って困っている。こっちが恐れ入ってしまいそうである。
結構長い時間思案した後、男性は決心したように顔を上げて、
「いや、やっぱり勿体ないです。すぐに使います。申し訳ないですが値札を取って頂けませんでしょうか?」
と言った。こんなに丁寧に「値札を取って」と言われたのは半年間の勤務経験で初めてである。
取って差し上げてパスケースを差し出すと、男性は両手で押し頂き、
「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」
と深々とお辞儀した。
何かのギャグではないか、とも思ったが、男性は大真面目である。感じは良いがこちらの居心地が悪いのはなぜだろう、と思いつつ、お見送りした。

数日後、レジに入っているとまたあの男性がやってきた。恐縮した様子で、今度はあのパスケースと同じブランドの財布を手にしている。またおずおずと財布をレジ台に置いた。パスケースと同じ色だ。
「すいません、財布も頂くことに致しました。今日も値札を取って頂きたいです。袋は結構ですので」
一大決心を告げるような口調である。内心ちょっと笑えたが、
「さようでございますか。お気に召して頂けて嬉しいです。ありがとうございます」
と返事した。
元営業マンは口からいくらでもこういう言葉が勝手に出てくるのだが、心がこもらないのが自分で嫌になる。
会計を済ませ値札を切って財布を渡すと、男性はまた押し頂き、
「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」
とまた丁寧にお辞儀した。
「こちらこそ、お買い上げありがとうございました」
こちらも負けないように丁寧にお辞儀し返す。空いている時間帯で良かった。ゆっくり時間が取れる。
しかし凄く理想的なやりとりのはずなのに、何故か笑えてしまった。己の不遜さが恥ずかしい。

お客様は「身銭を切って、買って下さる」方で、店は「お買い上げ頂き、利益を頂戴する」側である。そうすると身銭を切る方がある意味「犠牲」を払っているので、その犠牲により「恩恵」を受ける店側はへりくだるのが当然だ、と言うような考えになりがちだ。これは何も傲慢なお客様に限ったことではなく、店側の人間である私にも普通に備わっている感覚である。
しかしこの男性のお客様は、少し大げさには見えるけれど「自分は商品とそれに付随するサービスを『受け取らせて』もらっている」と考えているようだ。対価は当然の義務だと考えているのかも知れない。

今まで私は買い物をする際、こういう視点を持つことをすっかり忘れてしまっていた。客として、「買ってやっている」「儲けさせてやっている」という無意識下の傲慢な自分が全くいなかったなんて、言い切る自信はない。

オーバー過ぎるきらいはあったけど、「受け取ること」に当然のように感謝するというあの男性の姿勢は、なかなか持つことが難しいと思う。こういう方にお目にかかると、接客した後清々しい気分になる。
「袖振り合うも多生の縁」とはよく言ったものだ。気付きを下さるお客様とのご縁は嬉しい。