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あきらめる

とうとう我が家にも例の感染症がやってきた。で、もれなく二人とも罹患し、二人交互に寝込むことになった。
同じ病気なのに二人症状の出方が全く違うのが面白い。喉と全身が痛いという症状のみ強い夫が回復するころ、私は38度くらいの熱とどうしようもない倦怠感に襲われて、4日間ほどのびていた。漸く平熱になり、家事もゆっくりながらこなすことができて少しスッキリした。
なんせ一時期は布団に起き上がることも難しいくらいだるかったので、思うように水分が取れず、ちょっと危うかった。昼食のうどんが久しぶりのまともな食事となった。

寝ている間、いろいろ諦めた。
先ず、職場に迷惑をかけることを諦めた。みんなカツカツでシフト調整しているから、ものすごい負荷が掛かっているだろう。でも、しょうがない。すいません、と心の中で謝っておくことにした。勿論、電話では言ったけれど、後からちゃんとお詫びはするつもりにしているからそれでいい。
次に、入浴と家事を諦めた。しなくても死なない。幸いウチに乳飲み子はいない。オッサンとおばはんが二匹、ローテンションでのたうっているだけなので、多少埃まみれや垢まみれになろうが、どうってことはない、と清潔に過ごすことを諦めた。
楽器を鳴らすことも、楽しみにしていた沢山の予定も諦めて、これで良いんや、今は身体大事にすんねん、とやったら、とぎれとぎれではあるが結構な睡眠時間を確保できたようで、お肌がツヤツヤになった。

何もかも諦めまくってぐったり横になっているところに、姉から電話がかかってきた。姉も先週、同じ感染症にやられていたそうで、様子を聞くと随分気の毒がってくれた。そして思いもしないことを言った。
「ミツルさん、おかあちゃんがな、とうとう折れてん」
これには少なからず驚いた。
姑が病院から退院を打診されたものの、老健への転院をしぶっていたのはついこの前の話である。あれからそんなに時間は経っていない。どういう心境の変化があったのだろう。
姑は当初「退院後一旦家に戻り、どうしても一人で暮らすのが無理そうだったら老健でも良い」と言っていたそうだ。ただシステム上、一旦病院を出てしまうと老健に入るのは、病院から直接移るよりも難しくなってしまうらしい。おまけに老健に入るまでの待機期間は自力で何とかしなければならない。
それを病院の職員が何度となく説明してくれたそうなのだが、頑として聞き入れず、姉には最近益々攻撃的な手紙をよこすようになっていたらしい。
その姑が、一体どうしたのだろう。

姉に疑問をそのままぶつけてみると、意外な答えが返ってきた。
姑の手紙に書いてあった要望を「丸ごと全部」受け入れてみたらこうなった、というのである。
余所行きのコートを持ってこいに始まり、携帯電話、小銭、セーター、ラジオ…既に病院の姑のベッドの周りには物があふれかえっている、と看護師さんから聞いていた。その上に更に言うとおりに物を持って行ったらどういうことになるかは、姉だってわかりすぎるほどわかっている。しかし、敢えて本人の希望を尊重してみた、という。
あふれかえる荷物を前にして、姑も自分がどんなことを言っていたのかよくわかったのかも知れないし、いざ言うことを全部聞いてもらえると、自分のやっていることがバカバカしくなったのかも知れない。
『全部お任せします』
と連絡してきた後、携帯電話も返してきたそうである。小銭は自動販売機のコーヒーを飲むために少しだけ取って、これも余分は返してきたそうだ。
姑も「諦めた」ようである。割合あっけない幕切れだった。

姉はほっとした声色だったし、我が家も年末年始の姑の心配をしなくて済んで胸をなでおろした。姑はなぜかこういった特別な期間になると帯状疱疹を出したり、突発性難聴を発症したり、をやりがちな人だからである。
私達は昨年の大晦日に、これでとんでもない目に合っている。

布団の中でまどろみながら、姑の心中について考えた。
本当は家に帰りたいのだろう。だが、今の自分の状態では無理なのだ、という諦めをするのには決心が要ったろうな、と思う。
今回病気をしてみて改めて思ったが、自分の思うように家事や身の回りのことができないのは、なんとももどかしい。しかし誰かが自分の決めたルールではないように家の中を切り回していても、それで諸事恙なく済んでいくのであれば、自分のこだわりよりそちらが優先されて然るべきだ。
私の場合はまだ50代だし、夫も現役で働いているから、そこら辺は比較的容易に割り切ることも出来る。が、長らく「家」を守る事のみに専念してきて、そのことに誇りを感じてすらいたであろう姑には、難しい決断だったに違いない。
その姑の恩恵に浴してきた子供達が口を揃えて「お母さんはもう家には住めない、無理だ、老健へ行ってくれ」と言えば、私は何のために頑張ってきてん、という虚しい気持ちにもなったろう。
「家」を守るということに何らかの見返りを期待していたわけでは勿論なかっただろうけれど、気持ちは理解できなくもない。

可哀想ということも出来るが、「『一旦』帰る」という言い方に、私は姑の不安を感じてもいた。本当に一人でやっていく自信があるなら、きっぱり「帰る」と言っていたはずである。
そう、みんなのためにもこれで良かったんだ。
あの時潔く諦めて良かった、と姑が笑顔になってくれる日が来ますように。