見出し画像

泥縄娘とブチギレお母さん

先週の、大雨が降った日のことである。
十一時前くらいだったか、キャリーケースの売り場から賑やかな声が聞こえてきた。どうも中学生くらいの娘さんとお母さんのようだ。派手にやり合っている。
「だ・か・ら、もっと早くから持ち物確認しておきなさい、って言ったでしょ!」
「そんなこと言ったって、気付いたのが今日だったんだもん。今更あ~しょうがないじゃん!」
「しょうがないことないでしょう!あんなに準備しておきなさいねって言ったのに、なんで今なの?!」
「ギャアギャア大きな声出さないでよ。恥ずかしい!バカなこと言ってないで、早く選ぼうよ!」
「バカってあんたのことでしょう!よくそんなこと言えるね!!」
あまりに大きな声の所為か、周囲に居合わせたお客様もジロジロ見ている。私は一緒にレジにいたIさんと顔を見合わせた。

暫くしてそう言えば静かになったな、と思った頃、お母さんが一台のキャリーケースを抱えてレジにやってきた。
娘さんは後ろでスマホをいじくりながら、ふくれっ面をしている。
「スイマセン、すぐに使いますので、色々外してもらって良いですか?」
「かしこまりました」
精算を済ませた後、Iさんと二人、シールやビニールを剥しにかかる。
「あんたねえ、ちょっとは反省しなさいよ!」
作業中も、お母さんは後ろに控えている娘さんに、お小言を言い続ける。
「うるさいなあ、もう買えたんだから良いじゃん」
娘さんはひたすら面倒くさそうだ。まあ、その気持ちもわかる。お母さんは聊か興奮気味のようだ。
でもお母さんの憤りも理解できますよ。ええ、どうしてこう子供(や夫)って、何でもギリギリに言うんでしょうね!

傘や手袋などはよくあるが、キャリーケースを『すぐに使います』という方には、あまりお目にかからない。
朝一番で駆け込んできて、
「昨夜荷造りをしたら、手持ちのキャリーケースに入りきらなかった。間もなく出発しなければならないので急いでいる。これをすぐに使えるようにしてくれ」
と言うようなことを仰る方もないではないが、極めてレアケースである。少なくとも、私は三年居て二人しか応対したことがない。
そりゃそうだ。キャリーケースを使うような大仰な旅行の準備を、そんな直近にしかしない泥縄族は、世の中広しといえどもそう多数派ではないだろう。
しかし一定数は確実に居るらしい。ウチの夫と息子もだが、どうやらこのお嬢さんもその一人のようだ。

「ねえお母さん、欲しかった靴も安くなってるみたいだから、一緒に買ってもいい?」
待っている間靴の棚をチラチラ見ていた娘さんが、甘えた声を出した。
この娘さん、かなりの強心臓の持ち主と見た。マスクの内側でこみ上げる笑いを堪える。
お母さんはこちらの予想通り、キレて叫んだ。
「何言ってんの!家に帰って準備早くしないと、集合時間に間に合わないでしょ!あと一時間もないんだよ!もう使えるようにしてもらったから、さ、行くよ!!」
「え~、欲しいのになあ~」
お母さんはむくれる娘さんを急き立ててキャリーケースを抱え、大急ぎで去っていった。
娘さんはダラダラした足取りで、不満そうに唇をとんがらせながら引きずられるように後に続く。
帰りの運転、カッカすると危ないですよ、お母さん。気を付けてお帰り下さいね。
胸の内で呟きながら、エスカレーターに乗ってもまだやり合っている母娘を、見えなくなるまで見送った。
あとは嵐が去ったようにシンとなった。大雨の所為で客足はまばらだ。
思わずIさんと顔を見合わせて笑う。

「多分、修学旅行ですね。今、この辺りの学校、シーズンですから」
中学三年生のお子さんがあるIさんが、笑いながら言う。
「あ、そう!今時は中学生でもキャリーケース持って行くんやね。集合時間まで一時間ない、って仰ってたよ?大丈夫なのかな」
「のんびり準備してみて、あ、家にある奴に入らない~って感じだったんですかね。お母さん、ビックリしたでしょうね。この大雨の中、送っていくだけでも大変なのに。大きなキャリーケース買って、今から詰めるんでしょう?間に合うのかなあ」
「あの娘さん、ちっとも焦ってなかったねえ。大物やな」
二人してちょっとの間、笑わせてもらった。

昼前には外の雨足は一層強くなっていた。
お嬢さん、間に合ったかしら。雨上がると良いですね。気を付けていってらっしゃい。楽しんできて下さいね。
お母さん、お疲れ様!お嬢さんが居ない間、どうぞごゆっくり。





この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切: