怪獣の飼い方
今も姑とは毎晩電話で話す。毎日電話したところで目ぼしい話題もないのであるが、
「ちょっとガス抜きしたってくれ」
と夫に頼まれて以来、私の日課になっている。
内容は他愛もない。天気、気温、ラジオの話題、今日来たヘルパーさんのこと、今日の宅配弁当のおかず・・・この暑さと覚束ない足元のせいで、外出がままならない姑の話題はそのくらいだ。弁当のおかずは毎日変わるけれど、他はいつも似たような感じである。ヘルパーさんのことは私も覚えてしまうくらいで、『気の利く子』『四十代で子供が三人』『扁桃腺が弱い』『介護保険の範囲外のことを頼むと断る(当たり前だが、姑は不服のよう)』なんてことはとっくに私の脳内にインプットされているのだが、これらの情報を毎日、今初めて話すように聞かせてくれる。
気持ち良く話す姑を遮るのも気の毒なので、そうですか、そうですか、といつも同じ相槌を打ちながら、終息箇所を探っている。
昨日は電話していると夫が、
「ちょっと終わり掛けにオレと代わってくれ」
というので、姑に代わりますね、と断って夫に電話を渡した。話しておかねばならないことがあったらしい。
が、電話を耳に当てた途端、夫はたちまち眉根を寄せてこう言った。
「それはわかったから。前から聞いてるから」
しかし姑は夫の声が迷惑そうなのに気づく風もなく、ドンドン喋り続ける。夫はスピーカーホンにして、電話を投げ出すように床に置くと、小さなため息をついて寝そべった。
姑の話題は私に話していたのと全く同じである。聞く人が代わるともう一回話す気になるらしい。
ちょっとした隙間を見つけて夫はやっと要件を述べ、這う這うの体という感じで電話を切ると、
「ああもう!イライラする!お前、ようあんな怪獣と二十分も三十分も電話出来んなあ!」
と呆れたように私を見上げた。
酷い言い方もあったものだ、とは思ったが、夫のイライラの原因は腑に落ちた。
この人も毒親育ちなのだ。
「私は怪獣の檻の外に居て、眺めてるだけやもん。ちっとも大変違う」
私がサラリとそう言って笑うと、夫は不思議そうな顔をした。
「どういうことや?」
「あんたはな、今怪獣とおんなじ檻の中におんねん。だからしんどいし、腹立つねん。怪獣は檻の中、オレは檻の外、って思っていられれば腹なんかちっとも立たん筈や。一緒に檻に入ってケンカしよるからしんどいねん。外に出て眺めることが出来てへんから苦しいねん。わかる?」
そう言うと夫はふむ、と考え込んでしまった。わかりにくかったかなあ、と思ったので、翻訳してみた。
「お母さんとあんたとの間に、あんたが境界線を引けてへんのやよ。それはお母さんの問題じゃなくて、あんたの問題なの!『ここからはオレの領分』って言うところにお母さんが入ろうとする気がして、しんどいんでしょ?自分の領分を守りたい一心なんでしょ?」
夫は完全には腹には落ちなかったようだが、一応なるほどという顔をした。
こういう時、私達夫婦はいつも、かなり腹を割ってとことん話す。ここ数年のことである。
この時も夫はこう呟いた。
「オレな、誰かを可愛がるとか、愛するとか、そう言う事がよくわからん。出来てないと思う」
気付いていたのか、と反射的に思った。いや、もしかしたら子供のあれこれで大変だった時期から、夫は薄々感じ始めていたのかも知れなかった。
「オレは多分、評価抜きの愛情をかけられたことがないのかも知れん。だから自分も『心から愛する』ということがわからへんのやろうと思う。それはオレを育てたオカンが、そう言う風に育ったからなんやろう。オカンがそう言う風に育ったのは、突き詰めれば戦争の所為なんやろう」
夫は苦しそうだった。
「あんたが変われば、お母さんも変わるよ。私が変わって、あんたが変わったように。そこまで気付いているなら、もう少しでお母さんとの間に境界線を引けるようになると思う。でも、知識があるのと腹落ちは別やからね」
「うん・・・」
寝転がったまま黙り込んで、天井を見上げて考え込む夫の頭を黙って撫でた。
親子の確執は、存在に気付いた方から解決に取り組むのが得策だと思う。他人に期待するより自分が動いた方が早いし、煎じつめれば自分の考え方の問題だからだ。
解決と一口に言っても、簡単ではない。夫や私のように、何十年と抱え続けた葛藤は簡単には拭い去れない。親が弱ってくれば、『保護者』としての自分の立場と責任は変えられない。それは一層自分を苦しめる。
それでも、一刻も早く解決に向けて動きはじめた方が良いのは、その後の自分の人生を前向きで充実した明るく、後悔のない『自分のもの』にするために必要だからである。
夫のこれからの歩みに、二人三脚で寄り添って、私も一緒に成長していきたい、と思っている。
いつの間にかうたた寝を始めた夫を起こさないように、そっとタオルケットをかけて洗い物を始めた。