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平和の為に

接客業に携わっておられる方なら、よくわかって頂けると思うのだが、こちらの心が改まるようなあたたかい気持ちを、さり気なく遺して去って行くお客様もあれば、真逆の方、つまり人間の残念な面を思い切り押し付けて行くお客様にも出会う。
残念な面を思い切り押し付けられると、こちらの顔も曇る。
どちらの場合も年齢、性別、関係ない。

お客様の命に関わるような事で、クレームを受けるなら話はわかる。が、99%はそこまで大袈裟な話ではない。
頭ごなしに従業員を叱りつけ、一方的に自分の不満を言う。弱い立場の従業員は、ハイハイと聞いているしかない場合が多い。大抵の方がより上の立場の従業員を呼ぶよう、催促する傾向にある。自分の要求の正当性をより高めたいのだろう。

そのような一方的な怒りを押し付けられた時点で、既に従業員は心からの謝罪をする事は出来なくなっている。その従業員がフォーカスしているのは『お客様の怒り』という感情にであって、『自分の犯した過ち』ではないからだ。

極端なケースが取り沙汰されるようになってから、酷い人はほぼいなくなったと感じる。が、近い感じを受ける人は少なからず存在する。
サービスを提供する側に、明らかに酷い落ち度があり、反省の色が見られない場合を除いて、冷静に考えれば本当にくだらない理由で、何故そこまで怒る客が存在するのか。

怒るという感情の発露には、その人の物凄く深い孤独と悲しみが潜んでいる。

自分の主張を何故わかってくれないのか。私の言う事を黙って聞いてくれてもいいじゃないか。よくも私を蔑ろにしたな。私の気持ちを無視したな。
私はあんたとこのサービスを受けて『やっている』のだ。他にも選べるのに、わざわざあんたとこを選んで『やっている』のだ。なのに、この扱いはなんだ。酷いじゃないか。私の好意を仇で返したな。裏切者め。
そう言いたいような気持ちを感じる。

「オレが愛してるんだから、受け取れ」とか、「オレは気分を害したんだ、謝れ」という、相手の立場に立つことのない「オレ」側からの視点でのみ、訴えている。
愛する基準も、気分を害する基準も、事情も人によって違うのだが、そんな事はお構いなしである。「オレが」言うんだから従え、である。
なんともしんどい話で、ため息が出る。

話が終わった後も、お互い後味が悪い。理不尽な怒りを受けた方は面白くはない。周囲に愚痴る。周囲も酷いねえ、と憤慨する、つまり負の感情をもつ。
怒りを与えた側もスッキリなんてしない。一人の従業員が自分の言うことを聞いてくれなかった、だから怒りをぶつけ『させられた』、私は怒りたくなんてなかったのに。私は本当はそんな人ではないのに。アイツのせいで、と恨みの感情が起こる。周囲も一緒に憤慨するか、不機嫌なその人を恐れるか、バカな奴だと見下げるか。いい感情は何処にも転がっていない。

一方、こちらの気持ちが改まるような、ホッとする気持ちと笑顔を下さる方は有り難い。心底『ありがとうございました』と言って、しっかり腰を折る。そういう事が出来る自分に、喜びを感じもする。
そういうお客様の話をすると、周囲も笑顔になる。笑顔が次々伝播する。職場に、従業員の家庭に、イキイキした雰囲気が広がっていく。

自分の為、世の為、人の為、世界平和の為、笑顔を絶やさないように心がけたいものだと思う。



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