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アリガトウ

以前働いていたスーパーには、地域に暮らす大勢の外国人がお客様として来られていたが、こちらに来てからも、同じくらい多くの外国人のお客様に接する機会がある。

最も多いのは中国の方。地域に中華街があるから、そういう影響もあると思う。日本語がペラペラで、クレジットカード裏面のサインを見て初めてそうだとわかるような方もいらっしゃれば、ボディランゲージで辛うじて意思疎通をはかれるような方もある。

ご常連にも外国のお客様が少なくない。
中にX様という中国の方がいらっしゃる。この方が来られると、Yさんがすっ飛んでくる。X様がYさんを指名して来られることもある。
Yさんとしばらく談笑したと思うと、やがて高価なインポートブランドの鞄や財布をどさっと大量にレジに持ってこられる。
この方、とても気前が良いだけではない。めちゃくちゃ決断が早い。Yさんが、
「こちらが新しく入ってきた商品でして」
と最新のバッグなどをお見せするとふーん、と手に取り、提げてみて、中をのぞいて、
「これいいね。じゃあこれも」
とニッコリされる。あの、もうちょっと迷わないんですか、と言いたいくらいの即決ぶりだが、一度決めたら絶対撤回しない。しょっちゅう来て下さるので、ブランド物の仕入れ担当のYさんは好みを熟知していて、来られたらこれを勧めよう、と決めておられるらしく、
「これなんかX様にどうかな、と思ってさ」
と商品を見せてくれることもある。
レジでもとてもきっぷが良い。いつもかなりの額をお買い上げ下さるのだが、
「一括払いでよろしいでしょうか?」
とお聞きすると、
「うん、一括一括。良いよー」
とちょっと片言交じりの日本語で言って下さる。
お見送りするYさんと私にちょっと手を挙げて、
「アリガトウネー」
と言ってブランド物でいっぱいの紙袋を提げて帰って行かれる。
「羽振りがいいだけじゃなくて、片言なんだけどなんだか喋ってて気持ちのいいひとなんだよねー」
とはYさんの弁である。

もう一人のご常連はZ様。どこの国のご出身かはわからない。失礼だがお顔立ちから推測するに、おそらく東欧かロシア系の方ではないか、と思っている。
この方は日本語がめちゃくちゃ上手である。イントネーションもほぼ完璧だ。日本での生活が長いのかも知れない。
私がこのZ様を知ったのは妙なきっかけだった。

「ねえ、あそこで外人さんが騒いでるんだけど」
とお客様が怖そうにレジに言いに来られたので、何のことかと思い声のする方に駆け付けたところ、
「オネエサーン!コレ、ヌゲナクナッチャッタヨー!タスケテー!」
と長靴と格闘しておられたのがZ様であった。かわいいデザインの長靴だがちょっと幅が細目な上にサイズが小さい物しかないが、どうしても履いてみたい、ちょっとくらいきつくても履ければ買おう、と思って無理に履いてみたところ脱げなくなったらしい。
お客様の足から靴を脱がせる手伝いをするなんて、初めての経験である。私が長靴を持って引っ張り、Z様が後ろにのけぞる。ロング丈ではあるけどスカートをお召しなので、私は気が気ではない。Z様はそんなこと全く気にしている様子はない。脚が丸出しになっているが、一刻も早く脱ぎたくて必死でそれどころではない、といった感じである。目のやり場に困った。同性が見る故にむごい光景でもある。
「痛かったらおしゃって下さいね」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ」
色白なZ様のお顔は真っ赤になっている。本当に大丈夫か、心配になる。と同時に商品がダメにならないか、私はかなり心配になってきていた。しかしこのままというわけにはいかない。
踵にわずかなゆとりがあり、少し左右に動かしながら5分ほどかかって、長靴は無事脱げた。
Z様はフーっと大きなため息を履いた後、
「オネエサン、アリガトウ、アリガトウ。ヌゲナイカトオモッチャッタヨ」
とおっしゃった。顔が汗だくになっている。
「この商品はちょっと先が細くなるように作ってありますので、実際のサイズよりはやや狭めに感じるかと思います」
と私が説明すると、
「ソーミタイ、カワイイトオモッタンダケド」
Z様が苦笑いする。私もついつられて笑ってしまった。
この事件?以来、Z様は
「タメシニハイテミタインダケド、イイ?サイズ、オオキイノアリマスカ?」
とレジまで聞きに来て下さるようになった。そういう時は青い目で私をいたずらっぽく見て、ニヤッと笑われる。もうあんな騒動は起こしませんよ、ということなんだろうと思う。
因みにあの長靴は、靴担当のFさんに事情を説明して入念にチェックしてもらったが、問題なし、ということで再販されることになって、私は胸をなでおろした。裂くなんてことにならなくて、本当に良かった。

私は外国で生活したことはないけれど、周りが全部違う言葉を話す人の中で生活するってどんな感じなのかな、と接客していていつも思う。X様もZ様も、ゆっくりお話しさせて頂いたことはないけれど、もう永らく日本に住んでいらっしゃるご様子だ。独特の『潔さ』みたいなものを感じる。
このお二人だけでなく、外国人のお客様は立ち去る時には必ず笑顔で、
「アリガトウ」
と言って下さる方が多い。こっちもつられて笑顔になってしまう。
「アリガトウ」は良い日本語だな、といつもお見送りしつつ思う。