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モーツァルトと遠足日和

先日は気持ちのいい秋晴れで、午前中は近所の高台から富士山が綺麗に拝めた。同じように富士山を見に出てきたらしい、近所の見知らぬおじいさんと会話が弾む。
「また見える季節になりましたなあ」(※この辺りは秋から冬にかけてしか見えない)
「そうですねえ」
「今日は”おやま”は見えませんけどね」
「”おやま”ってなんですか?」
「右手の方に、裾がちょっと盛り上がっているところがあるんです。あそこをおやま、っていうんですよ」
「へえ、初めて聞きました」
おじいさんに挨拶をして家に帰り、ウチの山男に確認したが、知らないという。西日本限定山男だから、無理もない。おやま、は小山だろうか。地名なのかな、と思うが関西人には今一つよくわからない。

それにしても綺麗な青空は、見ていて本当に気持ち良い。職場の横の歩道にあるポプラが綺麗に色づいていて、青空と良いコントラストを成している。
遠足なら最高の天気だなあ、と思って空を見上げていると、クラリネットの師匠のK先生に昔言われたことを思い出してひとり笑ってしまった。

モーツァルトのクラリネットコンチェルトは大変有名な美しい曲である。いやクラシックなんて聴かないから、という人でも、絶対に耳にしたことがあるはずだ。
なぜかクラリネット協奏曲やソナタは、作曲家の死の直前に書かれた作品が多い。サン=サーンスのソナタも、プーランクのソナタも確かそうだったと思う。クラリネットの音って、死ぬ前に聴きたくなるのだろうか。ちょっと怖い気がする。音色のせいだろうか。(でもプーランクのソナタは二楽章以外は結構激しい。)
この曲もモーツァルトの死の二か月前に書かれている。

先生に勧められてこの曲をレッスンでやっていた時のことである。
二楽章は静かなゆっくりした、美しいメロディだ。出だしはかなりの弱音で、でも遠くに届かせるように吹かねばならないのが難しい。
この楽章の中間くらいに、クラリネットが印象的なFis(実音)を吹くところがある。そこから階段状に音が上がって行き、最終的にはAの音に到達し、そこが中間部の小さな山になる。
楽章全体が静かな雰囲気に終始している為、あまり大きく盛り上げてはいけない。でも小さくは盛り上げる。これが難しい。

二楽章の初レッスンの日、先生は私が吹くのをじっと聴いておられた。が、ここの部分で、
「ストップ!そうじゃありません!」
と止められてしまった。
「半音上がるごとにちょっとずつ明るくしてみたつもりなんですが…変でしたか?」
見当違いでもいいから、何か必ず工夫して考えて吹きなさい、と言われ始めていた頃だった。また外したか、とおそるおそる尋ねると、
「これを書いたとき、モーツァルトは死にかけているんですよ!あなたの吹き方だと、『わーい、晴れた!遠足だあ!』って喜んでいる子供みたいです。死ぬ間際の人の、微かな笑み。それを想像して吹きなさい!」
とのお答えが返ってきた。
遠足の例えがおかしくて、レッスン中にも関わらずくすくす笑ってしまった。先生も苦笑いしている。
何度かトライして、音程を『気持ち』低めに取り、音色を暗めにすると先生はやっとうなずいて下さった。
当時はそこまで考えて吹いていなかった。自分の浅はかさが笑える。

ヨーロッパで長く生活された先生によると、向こうの冬はずっと曇っていて、太陽がほとんど顔を見せないそうだ。だからとても太陽が恋しいらしい。
二楽章のこの部分はヨーロッパの冬の、雲の隙間から差し込む太陽光線なのだ、とも仰った。
死の床についたモーツァルトが、窓から差し込む僅かな太陽の光を見て、うっすら微笑む様子が目に浮かんだ。

冬が近くなりすっきり晴れた空を見ると、この時のレッスンを思い出す。
あれ以来、吹奏楽の楽譜を目にしても、
「この音は明るめ?暗め?どうとるのが正解かな?」
と全体を見て、立ち止まって考えることが少しは出来るようになった。先生のおかげである。

K先生は今、ヨーロッパとはいかないけれど、なかなか冬の厳しい土地で生活されている。冬の空はヨーロッパ並みかも知れない。
ここからは遠くて、そうそう伺えないのが残念である。
お手本で吹いて下さった先生の素晴らしいモーツァルトを、また聴ける日が待ち遠しい。