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行く道

先日、夫の姉から電話があった。姑が背骨を圧迫骨折したようだという。痛くて眠れない、と連日電話をしてくるそうだ。
もう80半ばだというのに、重い洗濯物を持って2階への上がり降りを繰り返した事が原因らしい。
おばあちゃんは洗濯が生きがいなんやね、と諦めモードの私達と違って、日頃から口酸っぱくやめておけ、と姑に言っていた姉は、
「だから言わんこっちゃない」
と姑に怒ったという。

姉は姑宅のすぐ近所に住んでいるので、本来なら私がやる筈の、姑の通院の付添等を全てやってくれている。本当に申し訳なく思っている。

姑は姉に完全に甘えている。
痛いと言っても痛さが変わる訳ではないのに、痛い痛いと毎日姉に電話をする。食事の支度に忙しい夕方だろうが、早朝だろうが、深夜だろうがお構いなしだそうだ。特に用事はないらしい。
ボケてはいないから、姉は
「電話はまともな時間にしてくれ」
とごく当たり前の要望を言う。すると姑は
「アンタは冷たい」
と怒るという。

普段通院の付添も、買い物も、ゴミ出しまで世話を焼いている人間に向かって「冷たい」とは何事だ、お礼を期待してる訳ではないけど、ああ言うふうに言われるのは腹立たしい、だからつい喧嘩してしまう、と姉は私に電話してくる。
姉が気の毒になる。

先日はちょっと大きめの騒動があった。
圧迫骨折がわかってから、姉はヘルパーに家事をしに来てもらえるよう、すぐにケアマネージャーを通じて手配してくれた。これでちょっと安心、と思ったのも束の間、姑は
「誰かが家に来てくれると、私が掃除せなあかんから大変やし」
と言って勝手にヘルパーを断ってしまった。姑にとっては、ヘルパーも『お客さん』なのだ。
ケアマネージャーから連絡をもらった姉は驚き、怒った。当然である。しかし姑は自分の主張を曲げない。
放っておくこともできず、姉はケアマネージャーに謝って再度ヘルパーを要請したそうだ。勿論、勝手に断らないよう姑にはしっかり釘をさしたそうだが、その際もひと悶着あったらしい。
聞いているだけで疲れる。姉の気苦労は想像もつかない。

姑は家の事を自分でしたいのだ。
誰かに汚れたままの茶碗を洗ってもらったり、自分が排泄したトイレを掃除してもらったり、自分の下着を洗濯して干してもらって畳んでもらうのが嫌なのだ。
その気持ちはわかる気がする。だが今、姑の身体はそれが思うように出来ない状況である。
姑の気持ちを思うと、同じ女として同情を禁じ得ない。

姉だって姑の気持ちもわかっている。でも姑には身体をいたわって欲しいと思っているのだ。
姑の為に良かれと思って心を込めてやったことを姑に拒絶されると、娘の心配をなぜわかってくれないのか、という気持ちでイライラもするだろう。
姉の気持ちも当然だと思う。

『子供笑うな、来た道じゃ
年寄り笑うな、行く道じゃ』
昔、祖母が笑いながら教えてくれた言葉を噛みしめている。
明日は姑には内緒で、通院に付き添う事になっている。
私にはよそ行きの顔しか見せない姑。
私には姑を笑う事は出来ない。