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魅力的なひと

H副店長は当店始まって以来の女性副店長である。他にも女性の管理職は数名いらっしゃるが、一番上の立場はこの方になる。
皆この方の年齢をしきりに気にするのだが、私は興味がない。多分私よりは下で、Nさんよりは上だろうか、くらいに思っている。
あちこち転勤してきておられるようだから、多分独身だろう。『気の毒にねえ』なんてヒソヒソ噂する人もいるが、今のご時世、そんな事は問題でない気がする。大きなお世話だなあ、と思いつつ聞いている。
ご自身も何かと噂になっていることはご存知なようだが、全く意に介さない様子である。尤も、そんな暇がないくらい忙しい、と言うのが正解だろう。

私が一人きりでレジに入っている早朝、この人はよくやってきてくれる。出勤すると必ず全ての売り場を一巡するので、その途中で立ち寄ってくれるのだ。お客様とのトラブルはないか、従業員の健康状態や雰囲気はどうか、売り場の商品は乱れていないか、空調の温度は適切か・・・だから彼女は事務所にじっとしていない。
私のいるレジにやってきても、
「どう?困ってることない?何かなかった?」
ニコニコしながらも、あちこち目配りすることを忘れない。
「十時まで一人なんだね?応援必要な時は呼んでね!」
そういうと足早に売り場をチェックしに去っていく。
カッコイイなあ、といつもほれぼれと見送っている。

しかし先日のH副店長は、いつもとちょっと様子が違っていた。
「在間さん、おはよう」
いつものように声をかけてくれたが、あまり元気がない。
「おはようございます。昨日お忙しかったんですか?なんだかお疲れですね?」
なんとも思わずそういうと、H副店長はフフッと苦笑いして肩をすくめた。
「そうなの。実はね、ウチの母が三日ほど前に病気で倒れてね」
「え!大変じゃないですか」
「そうなの。実家には父がいるんだけど、あんまり急だったので慌てたみたいで、母を入院させる準備している最中にこけて骨折してね」
「それって滅茶苦茶大変じゃないですか!!」
「そうなの。もう滅茶苦茶よ。で、昨日と一昨日、急遽お休み頂いて実家まで新幹線で帰ってきて。母の手術に立ち会って、父を入院させて、戻って来たってわけ。お父さん、こっちの仕事増やさないでって感じ」
そういうとH副店長は珍しくレジ台にもたれて、ふーっとため息をついた。

「在間さんもお姑さんのことで、よく関西行き来してるよね。大変だなあ、と思って見ていたけど、自分事になるとその大変さがよーくわかるわあ。いよいよ来たって感じね。避けて通れない問題だとは思ってたけどさあ。こういうの、急に来るんだよね」
本当にその通りだと思った。私は短時間勤務のパートだが、H副店長は役席者。責任も拘束時間も仕事内容も比較にならない。大変だったろうと思う。
二言三言、会話すると
「ごめんね、愚痴こぼしちゃった。ま、心配だけど、こればっかりはなるようにしかならないよね。じゃあね」
と笑って手を振って、軽やかな足取りで行ってしまった。

それからひと月くらい経った頃のことである。
「在間さん、おはよ。一人?なんかなかった?大丈夫?」
一人で早朝番をしているところにH副店長がまたやってきて、声をかけてくれた。
「おはようございます」
「あ、今日は連絡ノート、見た?ここはこれで揉めたりしてないよね?」
何のことだろうと思って首を捻ると、H副店長は苦笑いして私を見た。
私の勤務先の各売り場には、従業員の為の『連絡ノート』がある。お客様のクレームの内容や、次のセールがいつから始まるか、などを書いておく為のものである。出勤したら必ず売り場の全員が目を通すことになっている。
書かれたことには担当者が必ず応対し、要件が済めば対応した人が『済』の印を大きく書き込むことになっているのだが、このノートの書き方で某売り場の従業員同士がトラブルになっているのだという。

書き言葉というのは恐ろしい。読みようで悪意にでも善意にでも取れることがある。
『商品整理をしておいて下さい』
という一言も、
『私はいつもちゃんとしているのに、こんな注意をされるなんて』
と指摘と取って怒る人と、
『そうねえ、最近乱れがちだし、ちゃんとしないとね』
とフラットに捉えられる人がいる。
だからこのノートが従業員同士のトラブルに発展することは、案外珍しくない事なのだそうだ。ウチの売り場は良い人ばっかりで良かった、と思わず胸を撫でおろす。
こういうややこしいことの仲裁も、H副店長のお仕事である。
「もうねえ、大変なんだよ。どっちも折れないしさあ」
「どうして良いように捉えられないんですかねえ。大いに読んだ方の心の持ち様の問題のような気がしますが」
私がそう呟くと、H副店長は身体を起こして私の方を見て、
「だよね!だよね!私もそう思うの!!」
と言ってアハハと笑った。
「ごめんね、また在間さんに愚痴こぼしちゃったね。一人ってさ、話しやすいからつい、ねえ。ま、なんとかなるわ。ありがとう。じゃ、またね」
そう言ってニッコリ笑うと、H副店長は足早に去っていった。
つくづく大変だなあ、と思った。

この人は普段はタフな、頼れる役席者だ。けれどこんな風に垣間見せてくれる表情も魅力的な、応援したくなる一人の女性でもある。
私はパートの端くれだけど、一緒に働かせてもらえて幸せだなあといつも思う。
転勤、しないで欲しいなあ。