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共感する事

母の日が近づくと思い出す、小学校時代の出来事がある。

同じクラスに、大変病弱な母親を持つ友人がいた。母親はいつも家には居るが、ベッドから起き上がってくることはなく、気分の良い時でも半身を起こす程度だ、と話しているのを聞いたことがあった。その子の家の近所で一緒に遊んでいる時に、ベッドに半身を起こした状態の母親が、開いた窓から手を振ってくれた事もあった。

父親は盲学校の先生をしておられた。全盲と言う事だった。まだ小学生の妹の面倒を、中学生と高校生のお姉さん達がみていた。彼女の遠足等のお弁当は、いつもお姉さん二人の合作だった。どのおかずがどっちのお姉ちゃん作、と彼女は誇らしげに説明してくれたものだった。

4月のある日、とうとう彼女のお母さんは帰らぬ人になった。新しいクラスのみんなで葬儀に参列した。彼女は俯いていたが、泣いてはいなかった。一番上のお姉さんだけが、物凄く泣いていた。

母の日が近づいたある日、国語の時間に作文を書きましょう、という事になった。課題は『私のお母さん』。
担任が黒板にそれを書いた時、みんなの意識が一斉に彼女の方に向くのが私にも感じられた。彼女はうつむいて、鉛筆を握ったままじっとしていた。
どうするのだろう。私は心配になった。

担任は彼女に近づくと、こう耳打ちした。
「お母さんの思い出、で書いて」
近い席だったので、私には聞こえてしまった。子供心に、それはあんまりだろう、と思った。彼女がまだ忌引から戻ってきてから、そんなに時間は経っていない。自分だったら泣いてしまうかも知れないと思った。先生が生徒の心の傷に塩を塗り込んでどうするのだ。私は心の中で小さく憤慨した。

彼女は大人しい子だった。みんながいつもより静かに鉛筆を走らせ始めた時、彼女がより一層俯くのが見えた。顔を真っ赤にして、鉛筆を固く握りしめている。その手が小さく震えていた。彼女の隣の席の子が気まずそうに周囲の子達と目を合わせた。
彼女は静かに涙を流していた。
私も含め、周囲の生徒達は重苦しい雰囲気になってしまった。

異変を察した担任は、慌ててやってきた。そして次に言った言葉に、私は耳を疑った。
「自分は『私のお父さん』でもええんやで。そうしよ、そうしよ。それやったら書けるやろ?」
それまで我慢していた彼女は遂に、机にうつ伏せてしゃくりあげ始めた。

担任はオロオロして彼女から徐ろに離れ、あとは素知らぬ顔で教室の通路を歩き回っていた。私は秘かに呆れた。彼女は時間中ずっと泣いていた。

その後どうなったのか、残念ながら私には記憶がない。
『先生』と呼ばれる人も子供を平気で傷付ける事があるんだな、そして謝罪もしないんだな、とボンヤリ自覚したのは覚えている。

この教師(2児の母親であった)を酷い奴、教師失格、と叩くのは簡単だ。現に帰宅した私から一部始終を聞いた母は、涙を流して怒っていた。当然の反応だとは思う。

どんなに頑張っても、人の痛みはその人にしかわからない。
でも想像し、共感する事は出来る。
それをしようとする人と、しない人が居る。

悪意はなくとも、私も誰かを不用意に傷付けてきた事がきっとあるだろう。
だから自分は、想像しようとする気持ちを常に忘れないようにしたい。人の痛みに鈍感でないようにしたい。
人を思い遣る事は、そこから始められると思っている。

大昔の、忘れられない小さな小さな事件に思う事である。