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蜂より先に

ツツジの花をあちこちでみかけるようになった。関西の名所はあちこち知っているけれど、こちらの事はさっぱりわからない。名所でなくてもいっぱい咲いているのを見ると、いよいよ暖かくなったんだなあ!とウキウキする。

子供の頃は、このツツジの花を取って、萼(がく)を外して蜜を吸うのが楽しみだった。田舎の子供だなあ、と我ながら苦笑してしまう。
蜂が吸い終わった花は当然、蜜は空っぽ。渋い花の味しかしない、『ハズレ』の花である。こういうのに当たると、ぺっぺとツバを出す羽目になる。
見分けるコツは、雄しべの乱れ具合というか開き具合。蜂は花の中で動くので、蜜を吸った後の花はよく見ると、なんとなく雄しべに動いた形跡があるのだ。よく見極めて蜜の入った花を選ぶのも、ちょっとしたスリル?があって楽しかった。友達と、ああハズレだった、コレアタリ!、わあ、蜂が怒ってる!などとワイワイ騒ぎながら、吸っていたのが懐かしく思い出される。

簡単に蜜の吸える花は他にもある。私はサルビアが好きだった。花から飛び出た細長い花弁?をそっと引っ張ると、下の方が少し膨らんでいる。その部分に蜜が入っている。チュッと吸っておしまい。とても甘い。
こちらは蜂に先を越されたかどうかを見分ける術はない。いよいよスリリングである。

野生の木の実も友達と一緒に、随分食べてみた。コケモモの実は小さいが、濃厚な甘さだ。種が大きく、あまり食べがいがないのが残念だった。
童謡『赤とんぼ』の歌詞にも出てくる桑の実も、美味しい。桑は公園等に勝手に生えている?事が多いようで、結構あちこちで食べた。友達と遊んでいる時にあの赤い実を見つけると、皆ヤッター!と喜んで、遊びを中断して食べていた。

ご近所の植え込みの、伸び過ぎた薪(まき)の木の実を取って食べた事もある。これがとても美味しい。薪の実は小さな串団子のように2つ?3つ?連なって上向きに付いているが、その全部は食べられない。連なったうちの、一番熟れて赤い実だけが食べられる。
子供が自宅の植え込みにいっぱい集ってきたので、そのお宅の老夫婦が驚いて出てこられた。理由を話すと笑って、子供では手の届かない所の実をいくつか取って下さった。
近所では珍しく、綺麗な標準語を話されるご夫婦だったから、お仕事の都合か何かで関西に長くいらしたのかも、と思う。
そのご夫婦には子供がなかった。田舎の子供の遊びが、面白かったのかも知れない。

近所の空き地にあった茱萸(ぐみ)は、私は好きではなかった。縦長の柔らかいさくらんぼ、といった風体だが、飛び上がるほど酸っぱい。皮がザラザラしていて種も割と大きめ。
喜んで食べている子もいたが、私はあまり口にしなかった。
それにしても、何故あんな所に生えていたのだろう?

食いしん坊だったので、外でなんやかんやと食べた。大人になってから親に話してびっくりされた事もある。除菌もへったくれもない。洗った記憶も皆無。きっと色んな菌まみれだったろう。幸いな事にそのせいでお腹を壊す事はなく、無事に育った。たいして丈夫ではなかったから、奇跡かも知れない。
お腹がいっぱいになる、というのではないが、野生の花や木の実を口にするのは冒険めいていて、楽しかった。
花をむしったらダメ、他所のお家の木の実を取ったらダメ、という禁止事項に反する背徳の喜び?もあった。

随分前になるが実家に帰った時、近所の公園で子供を遊ばせていると、同じ事をしてツツジの蜜を吸っている少年の一団に出くわした。何とはなしに喋っていると、その内の一人が私と一緒にこの公園で蜜を吸った友達の子供だとわかった。彼女も実家に帰省していたようだった。
子供っていつの時代も同じなんだな、となんだか微笑ましかった。