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なんとかなる人

新人のIさんは無事に出勤してくれて、順調に仕事を覚えてくれていっている。
しかし入社初日にMさんがバリバリに厳しく教えたらしく、翌日私が初めてお目にかかった時はとても表情が硬かった。よろしくお願いします、という顔も緊張で強張っている。
真面目なMさんは使命感で、いきなりかなりぎゅうぎゅうと仕込んだようだ。
そこで先ずは緊張を取るのが先決かな、と思い、いつもより関西色濃いめで話しかけてみたのだが、戸惑って益々緊張してしまったようだったので、早々に元のエセ関東弁に戻した。
第一アプローチは失敗に終わった。

それはさておき、向こうは年下の新人ではあるが人間としては対等だから、キツイ言い方はしたくない。そもそも私には出来ない。
緩み過ぎは良くないが、あまり緊張していては覚えることも覚えられないだろう。緊張の連続だった、自分の入社当時が思い起こされた。
初日の様子を訊くと、全く何も教わらないままいきなりレジに立たされて、横からMさんに『その言い方は違います!』とか『レシートは縦向きです!』とか都度都度言われて、疲れ切ってしまったようだった。

Mさんはいつも一生懸命なので、何もかも初めから完璧に教え込もうとされる。姿勢として間違いではないのだが、Iさんはそれを百パーセントやらねばならない、と思ってしまう人のようだから、お互いにキツかろう。このまま続けていると、どっちも多分早々に疲弊してしまうだろう。
そこで私は『今はまず、これだけ出来れば大丈夫』という事を一つ、お願いすることにした。小さくても何か一つ、『今日はこれが出来るようになった』ということがあれば、少しでも良い気分で次も出社してくれるだろう。
私達にとっては小さなことでも、今のIさんには大変なことなのかも知れない。ほぼ初対面に近い相手の『頑張れる限度』を見極めるのは、とても難しいものだが、今のIさんには低めの方が良いだろうと思った。
慣れてきたら、完璧な実技をMさんに習ってくれれば良い。

「お客様が商品をお持ちになったら、先ず『ありがとうございます。お預かりいたします』と言えるようになりましょうか。今日はそれを目標にしましょう」
Iさん、実は『間違えないように打たなきゃ』『言うべきことは忘れないように言わなきゃ』というオーラがめいっぱい出ていて、何も言わずにいきなり商品を手に取ってお会計を始めていた。
「お時間を割いてウチの店に来て、商品を買って下さっているわけですからね。取り敢えず『ありがとうございます』って言われて嫌な気持ちになる人はいませんし。操作やセリフを覚えるのはその後で良いんじゃないか、と私は思いますよ」
そう言うと、Iさんはハッとした顔になった。
こっちの言葉がちゃんと届くという事は、真面目な人である。この人、大丈夫だ。

何かを覚えるのが得意な人と、そうでない人はいる。得意分野も人によって千差万別だ。
でも何人もお目にかかってきて思うのはただ一つ、
『根が真面目な人はなんとかなる』
ということである。
Iさんはその後、時折噛みそうになりながらも、一生懸命接客しながら『ありがとうございます。お預かりいたします』と繰り返していた。勤務が終わる頃には随分慣れてきたように見えた。
「だいぶ言えるようになってきましたね?凄いですね」
というと、
「はい!ありがとうございます!」
やっと笑顔が浮かんだ。
こっちまでホッとした。

それにしてもやっぱり研修体制がマズすぎる。なんでパート任せやねん。
「Iさんにも、昨年入社した二人と同じレジ研修を受けさせてあげてもらえませんか?副店長にお願いして頂けないでしょうか?」
ラッピング応援に来てくれた衣料品の社員のNさんに、こっそり頼んでみた。
今までの経験から、こういう要望はパートが言うより社員の方が通りやすいと分かっている。それにNさんは頼まれごとを放置するような人ではない。
「そうだね、いきなりレジで接客は可哀想だよね。今、母の日前で忙しいしね。わかった、僕から頼んでおくよ」
話のわかるNさんは、すぐに上に通してくれたようだった。
Iさんが退社する直前にレジ教育係のGさんがやってきて、研修の日時を決めてくれた。
「お疲れ様でした」
と声をかけると、Iさんはホッとした笑顔で挨拶して帰っていった。

縁あって来て下さった人だもの。長くお付き合いしたいじゃないですか、ねえ?
Nさん、Gさんありがとうございます。
なんのかんのといつも良い職場仲間に恵まれて、私は幸せである。