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毒親の棲んでいたところ

正月明けに京都に行くことになっている。一月の中旬に姑が老健施設を一旦退所するので、予め家の片づけをしておく為である。
関東からの日帰りは体力的に無理なので、同じ市内にある私の両親のセカンドハウスに泊まらせてもらうことにした。月に一、二度、両親が家を開けに帰るくらいで殆ど使用していない為、新しくて綺麗で気持ち良い。
かの地ではオーバーツーリズムが叫ばれる昨今、こんな好都合な家が姑宅の近くにあるのは運が良いとしか言いようがない。両親、ひいてはここに家を最初に構えてくれた祖父母に大感謝である。

両親はここで祖父母の家を建て替えた時に、
「いずれあんたもお義母さんやお義父さんのことで使う時が来るかも知れないから」
と言って、合鍵を渡してくれた。
その後私は、長年自分をコントロール下に置こうとしていた両親と激しく対立し、距離を置いた。半年間全く連絡を取らなかった。勿論、京都の家を使うことなど考えもしなかった。
だからその間、鍵は私の引き出しの奥の方にずっと放置されていた。見るのも忌まわしかった。
別に両親はそんなつもりはなかったと思うが、母の言葉に、なにか『恩着せがましい』感じを受けており、鍵を見る度に思い出して嫌な気分になっていたのである。

転機が訪れたのは、姑が大晦日に突然体調を崩し、急遽京都に向かうことになった時だった。
こちらを出たのは午後二時過ぎだったから、向こうにつけば夜である。大晦日の京都のホテルはどこもいっぱいだ。それに一体何泊することになるのか、見当がつかない。車を置く場所も欲しい。これはもう両親を頼るしかないと思った。
実はこの時、母に電話をするには随分勇気が必要だった。半年間顔も見ず、声も聞いていない。最後のやり取りは喧嘩ごしだった。
果たして両親はどう返事するだろうか。『ホラ、やっぱり頼るしかないだろう。親に冷たくするもんじゃないよ』と冷笑されるか、『こんな時だけ頼ってきて、虫が良すぎる。勝手にしろ。こっちは知らない』と言われるか、という恐怖が私の心をビクつかせた。
或いはこれを交換条件に、『これからは貴女のことを構わせてね』という雰囲気を醸し出されるのも御免だと思った。
だから電話をするべきか、とても迷った。
だが、背に腹は代えられない。思い切って通話ボタンを押した。

母はワンコールで出た。
母の声を聞いた自分の反応が自分で不安だったのだが、すんなり普通の調子で話が出来て、自分で拍子抜けしてしまった。
もっと驚いたのは両親の反応だった。あっさりと家を使うことを許してくれた。その声にはなんのわだかまりもなく、私の心配は全て杞憂に終わった。
後から聞いた話だが、父は私達の行く先々の道路状況を調べて、無事に着いたという連絡が来るまで、ずっと起きていたらしい。この日は珍しく名古屋付近でかなりの雪が降ったから、心配してくれていたそうだ。

私の両親は所謂『毒親』であったと思う。
お世話になったカウンセラーは、私が幼い頃に受けた、父による折檻の様子を聞いて涙した。『今だと通報レベル』と言われたこともある。そう言われるまで、自分がそんなに酷い扱いを受けていたとは気付かなかった。だからそれがわかってから、父を物凄く恨んだ。
母との確執はもっと深かった。手をあげられたことこそないけれど、数えきれない精神的圧迫を加えられたことと、父の折檻から守ってもらえなかったことは、母を恨むのに十分すぎる理由だった。
私は『毒親』の許に産まれた自分の運命を嘆き、両親を恨んでいた。

人を恨むという行動には、その人への『期待』がある。
私は両親に『こうあって欲しい』という期待を持っていた。残念ながら両親はその期待に応え得る育て方をしてくれなかった。だから私から『毒親認定』されてしまった。
別の言い方をすれば、両親を『毒親認定』したのは『私』である。自分の期待通りでない育て方をした両親を『親失格』だと断じた訳だ。

しかし、両親は子供との関わり方全てに於いて間違っていたのか、というとそう言うことはできない。
父の不器用だけれども深い優しさは、私にも妹にもキチンと伝わっている。母は余程気を付けないと、今でもうっかり境界線を越えてこちらに踏み込まれそうになってしまうが、こちらのことを考えていてくれることに変わりはない。
親を恨むことで自立したような気になっていた『私』の心の中にこそ、『毒親』は棲んでいたのである。

今回は京都で母と落ちあい、積もる話をする約束をしている。
もう自分の領域を侵される心配はしていない。きっと久しぶりの再会を喜べるだろう。
そうは言っても、まだまだ母とは感情の齟齬が色々ある。手放しでもう大丈夫、とは思えないけれど、あのザワザワしたような気持ちは起こってこなくなった。
付いたり離れたりを繰り返すのだろうが、これが私達親子。少しずつ、お互いを思い遣れるようになっていければ良いと、のんびり構えている。