見出し画像

自己顕示欲

Twitterやインスタグラム、少し前だったらFacebookなど、自分の顔や生活を晒して自己顕示欲を満たすことに嫌悪感を抱く人が多いような気がする。

なぜ自己顕示欲を満たしてはいけないのだろうか。「自分はこんな人間だよ。僕、私はこんなに凄いんだよ。」という風に他者に対してアピールすることはそんなにも嫌われてしまう行為なのか?

まあおそらく、そんな人たちに文句や首を垂らしてる奴は自分の生活に満足感がなく、満足してそうな人を見ると、嫉妬というこの世で最も愚かな感情に乗せられて、怒りを露わにするのだろう。もっと気色が悪いのが、そいつらは自分たちではこれは嫉妬ではないと言い切るところである。自分で嫉妬と認めてしまうと、ただの八つ当たりであることを認めることになるし、とにかく自分がその人たちに敗北していることを再認識してしまうからであろう。

他人の自己顕示欲を満たす行為に文句を言っている暇があるなら、自分がそいつらよりも充実した生活を送っていることをアピールして、逆に嫉妬させてやろうと思えばいいのにな。けどそんな簡単にはいかないか、そいつらは充実した生活を送る手段や自信がないから文句言っているだろうし。

日本では、自慢という行為はひどく嫌われる。だからか、相手を褒めて、自分は謙遜する、そういった心構えが模範解答なのである。本心では自分の方が優れていると分かっていても、そんなことは決して口にしてはいけない。本音と建前のバランスという言葉があるが、日本的価値観でいえば、本音:建前=0.1:99.9で解釈してよろしいか。ちなみに僕は、建前だらけのなんの生産性もないやり取りが心の底から大嫌いだ。

もっと人前で自慢しろ。「僕、私にはこんなすごいところがあります。」と言え。そしたら相手も、「僕、私もこの分野においては才能があるんですよ。」と返してくる。とても気持ちがいいではないか。血の通った会話とはこういうことだ。僕は、自分自身に対してネガティブすぎる人が嫌いで、それを他者に対してアピールしてくる奴がもっと好きじゃない。「私には何の魅力もなくて、顔も可愛くないし、性格も悪いし、いいところ全然ない~。」←これが僕が一番嫌いな、私ダメ人間だから慰めてほしいアピールである。こういった言葉を聞くと、すぐに「あ、慰めてほしいんだな。」と、その言葉の裏側に潜む汚らしいメッセージに気づくため、絶対に慰めや励ましはしない。もし間違えて慰めてしまったら、それこそ本当にOUTである。タイキックでもなんでも受けよう。("絶対に慰めてはいけないシリーズ”)

自己顕示欲を満たす行為は自慢をすることで、自慢をするということは自分に自信があるということだ。自分の凄さを世間に知ってほしいと思うことって最高に素晴らしいことであるし、その思いが人間をいい方向に動かす最も有効な原動力(エンジン)であると僕は考えている。だから、他人の自慢に嫉妬して、クソいかにもならない文句をたらたら言っている暇があるなら、他人にアピールできるほどの自分の魅力を探したほうが何億、何兆倍も有益だと思うのである。

さあ、自己魅力探しの旅にでよう!どれくらいの時間がかかるかは分からないが、旅から帰ってきた人はきっとこう言うだろう、

「僕はこんなに凄い人間なんだよ!」と。そしたら、心からの〝いいね!”を押してもらえるだろう。きっと、いや必ず。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?