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エゴイストであれ

つい最近、「ホンマでっか!?TV」を見ていたら、心理学者か脳科学者(その辺の類)の女性が、電車で席を譲った人は席を譲られた人よりも3倍近く幸せを感じる。という研究結果があるということを言っていた。基本的にそういった心理学者みたいな人の意見には、いつもテレビの前で苦言を呈している(言いたいだけ)僕なのだが、今回ばかりはなぜか妙に納得してしまった。たしかに、人に何かをされるよりも人に何かを施した方が、いいことしたなーって思えて気持ちがいい。でも待てよ、これじゃ自分が気持ち良くなるために他人にいいことをしているってことにならないか?これはいわゆる日本的な美徳からは大きく外れているんじゃないか?

ところで、僕は最近夜に坂口安吾のエッセイだとか自叙伝だとかを読むのにハマっていて、『エゴイズム小論』という作品に大変感銘を受けた。結論から言うとその本は、「人間誰しもエゴイストであれ!」的なことを強く訴えてるようなもので、生粋のエゴイストである僕には甚だ爽快であった。近頃の日本では、自己中心的な人間は嫌われる傾向にあり、やれ人のためだ、やれ他人を思いやれだ、反吐が出るような綺麗事が世論として受け入れられている。でもエゴイストとは真逆の人間、つまり他人のことしか考えていない人間は果たしているだろうか。坂口安吾に言わせてみれば、その人間こそが釈迦だとかキリストだとかそういう神みたいな奴らがそれに該当するらしい。当時の人間は、釈迦やキリストを崇拝し、決して贅沢をせずに自分を差し置いて他人を助けるような生き方に憧れを抱いた。だが、そういう人間共は決して釈迦やキリストにはなろうとせず、そういった苦行全てを神(釈迦、キリストなど)になすりつけた。結局、普通の人間は自分がかわいくてしょうがなく、自分の為にしか生きられないというわけである。だから、神に苦行は全部任せ、神の生き方だけを崇拝して、自分たちは神にはなろうとせずのうのうと贅沢をしながら暮らしているのだ。

私は前々から、人間は自分のためにしか生きられないと考えており、一般的な親は「子どものため、子どものため。」と口癖のように言うが、子どもは親の鏡という言葉があるように、子どもの評判は親の評判に直結するのである。だから親は子どもにしつけを施し、ちゃんとした人間になるよう言い聞かせるのである。自分の評判が子ども(自分の鏡)によって不本意に落ちないために。。このことを一回親に冗談で(本音だけど)言ったことがあるが、僕が喋り終えると親は血相を変えて30分近く説教してきた。(笑)

まあ、要するに、人間は一部の神みたいなやつを除いて、他人のためだけに生きるような超絶上品な生き方はできないから、もっと下品に自分のために生きても別にいいんじゃないかなって思うわけで、僕はこれからもエゴイズム的考えを続け、天性のエゴイストであろうと決めているのだ。

エゴイストであれ!以上。

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