無鉄砲な私と、堅実な私のはざまに

この2, 3年、なんというか自分の中で焦燥感が少し薄れてしまった感覚があり、20代前半に感じていたギラギラした前向きな気持ちを少し失っていた自分がいるように思う。それがどこからきていて、どうやったら次のステップに向いていけるのかをよく考える。

別に、仕事に対してモチベーションがなくなったわけでもなく、何か努力をサボっているわけでもなく、コミットが低くなったわけでもないのだが、昔そこにあった何か上昇志向にも近い、自分を駆り立てて強化していく「もっとできるようにならなきゃ」感がなんというか少し弱くなってきているという感覚。

考えられる要因はいくつかあるような気がするが、最も大きなものは自分自身が今、挑戦している真っ只中にあり、常にゲームをプレイしている状態にあることかなぁと思う。自分の将来に漠然と焦るみたいなことではなく、現実的に今見える先と、その先に見据える未来に対して、打つべき施策とやらないといけない準備が大量にあって、それを捌きつつ未来を見ていたら、昔のような焦燥感がなくなっていくという構造かなと思う。

これはある意味では正しい姿であると自覚しているが、一方で、大多数の人から見ると分かりにくい人物であると同時に、自分自身でも少し分かりにくい自分になっているなとも感じる。焦っていた時は、とにかく手当たり次第、やれること全部やって、漠然とした目標に向かっていく瞬間が苦しくもあり、楽しくもあったし、そういう七転八倒してる姿の方が傍目から見て分かりやすい気持ちもわかる。

今は、将来からの逆算で、やるべきことをやるべきタイミングで愚直にクリアしていくことが多いし、今すぐに解決すべき事項を一つずつクリアしていくことの連続で、昔みたいに曖昧な何かを目指したりしているわけではない。着実ではあるがロマンがないし、ダイナミックさもやっぱり少ない気がしている。良し悪しあるが。

最近は、こうやって将来からの逆算で質良く、トラブルを解決しつつうまくやりながら連続的に前に進んでいくことこそが、大人になっているということなのかなぁとさえ感じる。信頼できる、着実に物事が進む、見込みが立つ、それは全て良いことではあるが、なんとなく自分の中で自分自身に対して「お前つまんなくなったな」と言いたくなる自分もいて、逡巡してしまう。

だからと言って、じゃあ無鉄砲に何かをやるかといえばそんなことはない。でも、無鉄砲に何かをやりたい自分もいる。そんなジレンマを抱えながら、今日も私は堅実にTODOリストを埋めていく。

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